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絵の世界だけで通じる特殊な話
絵は上手く描くことに主眼においてはならない。上手く描けるようになることは必要条件ではあるが、十分条件ではない。それを乗り越えたところに創造性が生まれるものである。いつも同じ完成度を目指しているとアルチザンの絵になってしまう。アーチストは同じところに止まっていてはいけないと言われるのは、そのことを指している。そして常に新しいトライをすることが芸術家としての使命でもある。絵の習い始めでは、この点に気づきもしないであろう。大抵は学習が深まっていくうちに、自然と気づくはずである。しかし、気づかない人もいる。これは、人が生まれながらに持っている感性や天性によるものかも知れない。絵は生け花や茶道のような習い事とは明らかに違うものである。伝承する文化ではなく、新しいものを造り出していく文化である。そのことから学習の到達点が自ずから異なるわけである。師匠や先生を乗り越えていくような気概がなければ創造活動は成り立たないものである。また、端的に言えば、創造は既成の文化の打破から生まれるものである。タブーを打ち破ることも必要なのである。・・・・・
自分から画家と名乗れるようになるには相当の自信や裏づけがなければできるものではない。自称画家なら誰でも名乗ることができる。しかし、世間一般に通じるには、高いハードルが待ち構えているものだ。公募展で入選や受賞を重ねることによってそのハードルを越えていくのも一つの手である。有名な公募展に一回でも入選すると●●作家と言ってもてはやされるが、本人にとってはとてもそんな気になれるものではない。というのは自分一人の力で入選したのではなく、師匠と言われる先生の力が大きく作用しているからである。もちろん師匠なしに入選や入賞をする高い技量を持った者もいるので一概には言えないが、そういうのは極稀なケースなのである。名の通った作家の中にも、展覧会の出品作は師匠に下図を見てもらってからの場合が多い。以外に思うかも知れないが、これが現実なのである。独り立ちができない作家が、私は「画家です」とか「絵描きです」などと自信を持って言える筈がないわけである。一般の人々はそんな裏話は知る由もなく、一律に画家として捉えてしまうが、そういうことがあることも知っておくとよいであろう。独り立ちができて、初めて画家と言えるのである。すべての責任を自分で負える作家になるためには一朝一夕ではできるものではない。何十年とかかるのがこの画家の道なのである。
日本独特のアートシステムと言われている絵画公募団体展の存続に、危機が訪れている。この傾向は十数年前から徐々に表面化している。ちょうどPCが一般に普及し出した頃と重なっている。従来の絵画の領域である日本画とか油絵等、・・・それら以外の新しい絵画 CG (コンピュータグラフィックス ) の出現から、この傾向が顕著になってきたように思われる。美術系の大学は従来以上に盛況であるにも関わらず、公募展に出品する学生が極端に減少している傾向が見られるのである。一部の有名公募展に集中することも考えられるが、それだけではない不安要因が存在するのである。日本画の部門で見ると、毎年日本画専攻の卒業生が全国で300人くらいは卒業していると言われている。卒業生の多くは公募展の出品をすることもなく、個展で発表することもなく、ともかくも潜行してしまっているのである。修行期間として制作に励んでいるならば問題はないが・・・私の知る限りではそうではなく、大部分が CG に方向転換をしている現状を把握しているのである。これでは、益々の存続危機が発生するわけである。公募展を運営している側では、彼らのような若い人材を確保するために出品料を一般より安く設定したり、年会費を半分にしたりして温情効果を狙っているが、さっぱり効き目がないのが現状である。この状態が十年も続いたら公募展の多くは自然消滅をしてしまうのは明らかである。一般企業と同じように団体展どおしの統合・合併を考えていかないと存続の危機を逃れることはできない。
美術好きや絵画好きの方々が思った以上に多いのに吃驚する。それだけ日本も生活に余裕が出てきた証拠でもあろう。自分では造ったり、描いたりはしないが鑑賞することが大好きという方々によくお会いする。この方々は確かに目が肥えているので、話の内容が高度である。鑑賞者のレベルが高くなってきている現状はすばらしいことである。それはよい一面ではあるが、まだまだ鑑賞者と作家との間には大きなズレがあることも事実である。このズレは狭まることがあっても決して無くなるものではないであろう。アートはスペシャリストの技であるので、学習を積んでいない鑑賞者にそこまで期待することは土台無理なことである。 アートは社会のニーズにこたえるために行っている活動ではない。そのことから、二者の間に認識のズレが生じるのである。また別の言い方をすれば、アートは商品を作っているのではなく、独自性 (アイデンティティー) の探求をしたものが結果として作品になるわけである。それをお金の価値で判断して、商品と同類で語ってはいけないのである。芸術性の高い作品は、そのことを如実に表している。遠い未来に向けて語りかけているのである。
公募展 part 2 として、記したいと思う。近年、公募団体展の役割や意義に大きな変化が訪れていることを前に述べたことがあるが、現在まさにそれを強く実感しているところである。今年の3月まで小さな日本画の公募展の代表を務めていたこともあり、そのことが頭から離れないのである。ここ数年、若者の出品者が全く見られない状況が続いている。特に日本画にその傾向が強いのである。大きな団体は別として、この傾向が顕著のようである。社会情勢の悪化から余裕を持てない現在では、若者が制作を続けようとしてもできない環境があるのである。仕事と絵とどちらが大切だと選択を迫られると、仕事をとるしかないのが現実なのである。そんな中、期待する方が無理なのである。また、今の若者は昔ながらの手作業を嫌う傾向や長い修行を嫌う傾向があるのも要因の一つであろう。手っ取り早く結果が出る CG に走ってしまうのも仕方がないのである。需要も断然 CG のほうが多いので、当然かも知れない。しかし、これを時代の流れだと諦めるのは尚早である。この現状から打破するには、制作を続けることのできる環境づくりをすることが先決である。仕事やお金オンリーの社会から早く脱却して、余裕ある社会を官民一体で築くことからはじまるような気がするのである。
公募展 part 3 として・・・約30年前の公募展全盛時代を境にして徐々に衰微の状態が続いている。全盛当時はそれぞれの団体にはスターとなる人材が存在していたが、今ではほとんど見当たらない。これも時代の変化と捉えてよいのかも知れない。強烈な個性を持った作家の出現がないことに加えて、それを支える国や民間の支援不足がこの結果を招いた一因でもあろうと推測するのである。全盛期には新聞やテレビが大々的に報道をしてくれたものであるが、最近は抑え気味の報道ばかりである。たくさんある公募団体の公平な扱いを考えると、こうならざるをえないことは十分承知できる。また、財政危機が続いた昨今、国や県の支援体制が十分ではなかったことも大きく影響している。しかし、国情を考えれば当然の結果であり、これも時代の波と言える。それらに増して大きい影響を受けたのが、現代美術 ( contemporary art ) の出現である。大規模な構想で大衆をも巻き込み、都市興しに発展するイベントは、活動の輪が広がり、活性化に繋がるものである。このような大構想を考えると、公募団体展のあり方に変化が生じてくることは必至なのである。生き残りを賭けて各団体は、四苦八苦しているのが現状なのである。都美術館ではベストセレクション 美術 2014 なるものを企画しているが、その表れと言えるものである。よい企画ではあるが、この展覧会では有名公募団体だけを選抜して取り扱っている。中・小団体は目もくれないのは片手落ちといえるもので非常に残念である。姑息な対応が見え隠れするのである。
今年(2014年) から活動の場を中央( 東京 )に移すことにしたが、その中央も思っていた程の活気が見られないのである。いろいろな事情で中央展を離れて、東海三県( 愛知・岐阜・三重 ) を拠点に創日展という日本画の公募展を運営をしてきたのであるが、メンバーの高齢化にともなって、難しい状況が生じてきたのである。活路を求めるには組織の統合や合併をするしか存続の道がないことを切に提案したが、賛同を得られず、結局は二名だけの移籍となった。中央は組織が大きいだけに運営面では安定している。でも何か一つ足りないのである。その何かは、地方と同じで若者の出現がないことなのである。これは中央においても切実な問題として立ちはだかっているのである。公募展無用論が叫ばれるようになってからか、あるいは時代の流れか分からないが、団体展の魅力が半減してきていることは確かである。若者の出品者がほとんど見られないのである。やっているのは老人ばかりといった現象なのである。一部の有名公募展に出品者が集中していることも考えられるが、それだけでは説明できないのである。どこの会派も同じような社会現象となっているのである。ファインアート( 芸術 ) を追求できるような環境がないのである。生活に余裕がないためにやりたくてもできないのである。美大や芸大は結構繁盛しているのに後継者が育ってこない要因はここだという結論に達するのである。物から心へと価値観を変えることこそが、明るい未来を切り拓く鍵のような気がするのである。ファインアートは華々しい場面は少なく、自己満足で終わってしまうことが多いものである。やっている本人にとっては自己の挑戦 ( アイデンティティーの証明 ) なのでそれ以上のものを求める必要もない。しかしながら社会が無関心では、そうした行為に憧れる人材も育たないのである。いくら個人的な行為とは言えども、社会がその価値を見出さなければ徒労に終わってしまうのである。これらの貴重な行為を崇めるような社会があってこそ、それに挑戦しようとする若者が出現するのである。そこに切磋琢磨する活力のある芸術が生まれる環境となるのである。
今は少子化が予想されるところの中途段階に差し掛かっていると言ってよいであろう。今後は益々顕著になるようである。国家の存続に関わる重大な問題である。平和になって、安心して暮らせていけることはよいことではあるが、反面、予想もしないような不思議な現象が生じてきているのである。その一つが、この少子化の問題でもあると思うのである。子どもが大事に育てられすぎて、争うことをしない子、協調性のない子、自分勝手な子、我慢のできない子などの人間性に大きく関わる諸問題に表面化してきているのである。もちろん少子化と言われる前にも、これらの問題はあったに違いないが、今のように大きく現象化はしていなかったのである。本来、人間の持っているところのアクティブな面が希薄になっている。俗に言う草食系の若者が目立ってきているのである。これは、あくまでも傾向化である。全てに当てはまるものではないが、一抹の寂しさを感じるのである。知識が豊富な若者達ではあるが、汗を流して行動する体験が不足しているのは一目瞭然である。 コッコッ積み上げる地道な作業を嫌うことや、他人と競争することを嫌う傾向は、我々が育てようとしているファインアートの後継者の問題にも繋がるのである。公募展に出品する若者が極端に減少しているのも、これらの現象の一端なのである。すぐに結果の出る CG (コンピューターグラフィックス) に走ったりするのもこの表れなのである。これも時代が要求する波であると割り切るには時期尚早である。地道に活動するファインアートにもっと光を当てて、若者が憧れる社会を築くことこそ、救う手立てとなるのである。覚めた目で捉えている社会にもう一度、メセナを復活してほしいのである。つまり損得勘定を抜きにファインアートに投資してほしいのである。この効果はきっとブーメラン現象となって、全ての活性化に繋がるはずである。
前回の記事でメセナに大きな期待を寄せる内容を書いたが、補足として付け加えたい。日本が高度成長に差し掛かる頃、年代で言うと昭和40〜50年代に欧米の企業の在り方を模して、行ったのが最初と言われている。商売の儲け主義から脱却して、一般大衆に利益の還元をこのメセナで返したのがはじまりである。この時期は日本にとって経済大国としての地位を国際的に知らしめた絶頂期でもあった。多くの企業がこのメセナに参加をして、莫大な資金を投じたのである。それにより、日本の芸術・文化は大いに発展したのである。メセナによる効果は企業にとっても、あるいは芸術分野においても相乗効果があり、まさに一挙両得のメリットがあったのである。その頃の新聞やテレビ等のメディア各社も賛同して、芸術やもろもろの文化に惜しみのない手を差し伸べてくれたのである。そのおかげて我々のやっていた公募団体展も恩恵に即し、大いに盛り上がったものである。その後、日本経済の低迷時期に入ると、このメセナも様相が一変するのである。これに比例して、県や国の補助金も大幅に縮小されることになったのである。いろいろな文化事業も自然淘汰を余儀なくさせられる結果となり、経済面で言うところの失われた20年に突入したのである。今まで大きく社会に啓発し、盛り上げてくれた各メディアも扱い方が、日に日に縮小されるようになったのである。今まで紙面の文化欄を賑わせていた公募団体展の美術評を、大手新聞がやらなくなると、それに準じて各メディアもやらなくなってしまったのである。その所為とばかりは言えないが、若者の公募展への魅力を半減させた一因と考えられるのである。メディアの影響はいまだに大きいものがあるのである。若者はメディアの発信する記事に敏感である。それに心動かされて、挑戦してみようとするモチベーションに繋がるのである。日本のメセナは経済状況と直結しており、失われた20年ては、その効果を期待するほうがおかしい状況化であった。しかし、今、景気回復が現実のものとなると、期待したくなるのも必然なのである。もう一度、活気のある日本を取り戻そうと・・・・!!
情報化の時代で今まで崇高に捉えていたものが、身近になり過ぎてしまい、かえって興ざめをしてしまうようなことがある。ベールに包まれた方が神秘的であったり、より魅力を感じると思うようなことがよくある。しかし、現実の世界はまさにあっけらかんとしているのである。若者にとっては、実体験がなくても知識として既にあり、あたかも体験したような錯覚に陥ってしまうのである。ここには成し遂げた感動はなく、醒めた知識だけが残るのである。何をやっても結果が先に見えてしまうのである。コッコッやることが無駄骨に思えてしまうのである。汗水流して努力することの尊さを過小評価してしまうのである。社会の仕組みも知識として知り尽くしているような錯覚に陥り、先が読めてしまうのである。今の若者の傾向はこのような現象を指して言われるようになったのではなかろうか。情報化社会とも科学万能の社会とも言われる現在、全ての出来事が解明され、情報化されてしまうと、不変と言われてきた真理にも変調を来たすのである。まさに多様化現象に至らしめるのである。人権的には満たされても、個人に立ち返ると何を指針にどう生きていけばよいのか分からなくなってしまうのである。かっての選択肢が少ない時代が懐かしく思えてくるのである。物は満たされても心の中は不満だらけの現代社会において、心の拠り所を宗教に求める人々が多いと思いきや、それとは反対の宗教離れの現象が起きているのである。これは世界的な傾向のようである。現実離れした宗教の話では、現代人の心は満たされないのである。・・・・寂しくなるような現実ではあるが、別に悲観論を述べるためのものではない。また具体的解決策があるわけでもない。先ずは現状認識をすることからはじまる大きな課題として捉えられるのである。
徒然文・画家の眼より抜粋
絵の世界だけで通じる特殊な話
絵は上手く描くことに主眼においてはならない。上手く描けるようになることは必要条件ではあるが、十分条件ではない。それを乗り越えたところに創造性が生まれるものである。いつも同じ完成度を目指しているとアルチザンの絵になってしまう。アーチストは同じところに止まっていてはいけないと言われるのは、そのことを指している。そして常に新しいトライをすることが芸術家としての使命でもある。絵の習い始めでは、この点に気づきもしないであろう。大抵は学習が深まっていくうちに、自然と気づくはずである。しかし、気づかない人もいる。これは、人が生まれながらに持っている感性や天性によるものかも知れない。絵は生け花や茶道のような習い事とは明らかに違うものである。伝承する文化ではなく、新しいものを造り出していく文化である。そのことから学習の到達点が自ずから異なるわけである。師匠や先生を乗り越えていくような気概がなければ創造活動は成り立たないものである。また、端的に言えば、創造は既成の文化の打破から生まれるものである。タブーを打ち破ることも必要なのである。・・・・・
自分から画家と名乗れるようになるには相当の自信や裏づけがなければできるものではない。自称画家なら誰でも名乗ることができる。しかし、世間一般に通じるには、高いハードルが待ち構えているものだ。公募展で入選や受賞を重ねることによってそのハードルを越えていくのも一つの手である。有名な公募展に一回でも入選すると●●作家と言ってもてはやされるが、本人にとってはとてもそんな気になれるものではない。というのは自分一人の力で入選したのではなく、師匠と言われる先生の力が大きく作用しているからである。もちろん師匠なしに入選や入賞をする高い技量を持った者もいるので一概には言えないが、そういうのは極稀なケースなのである。名の通った作家の中にも、展覧会の出品作は師匠に下図を見てもらってからの場合が多い。以外に思うかも知れないが、これが現実なのである。独り立ちができない作家が、私は「画家です」とか「絵描きです」などと自信を持って言える筈がないわけである。一般の人々はそんな裏話は知る由もなく、一律に画家として捉えてしまうが、そういうことがあることも知っておくとよいであろう。独り立ちができて、初めて画家と言えるのである。すべての責任を自分で負える作家になるためには一朝一夕ではできるものではない。何十年とかかるのがこの画家の道なのである。
日本独特のアートシステムと言われている絵画公募団体展の存続に、危機が訪れている。この傾向は十数年前から徐々に表面化している。ちょうどPCが一般に普及し出した頃と重なっている。従来の絵画の領域である日本画とか油絵等、・・・それら以外の新しい絵画 CG (コンピュータグラフィックス ) の出現から、この傾向が顕著になってきたように思われる。美術系の大学は従来以上に盛況であるにも関わらず、公募展に出品する学生が極端に減少している傾向が見られるのである。一部の有名公募展に集中することも考えられるが、それだけではない不安要因が存在するのである。日本画の部門で見ると、毎年日本画専攻の卒業生が全国で300人くらいは卒業していると言われている。卒業生の多くは公募展の出品をすることもなく、個展で発表することもなく、ともかくも潜行してしまっているのである。修行期間として制作に励んでいるならば問題はないが・・・私の知る限りではそうではなく、大部分が CG に方向転換をしている現状を把握しているのである。これでは、益々の存続危機が発生するわけである。公募展を運営している側では、彼らのような若い人材を確保するために出品料を一般より安く設定したり、年会費を半分にしたりして温情効果を狙っているが、さっぱり効き目がないのが現状である。この状態が十年も続いたら公募展の多くは自然消滅をしてしまうのは明らかである。一般企業と同じように団体展どおしの統合・合併を考えていかないと存続の危機を逃れることはできない。
美術好きや絵画好きの方々が思った以上に多いのに吃驚する。それだけ日本も生活に余裕が出てきた証拠でもあろう。自分では造ったり、描いたりはしないが鑑賞することが大好きという方々によくお会いする。この方々は確かに目が肥えているので、話の内容が高度である。鑑賞者のレベルが高くなってきている現状はすばらしいことである。それはよい一面ではあるが、まだまだ鑑賞者と作家との間には大きなズレがあることも事実である。このズレは狭まることがあっても決して無くなるものではないであろう。アートはスペシャリストの技であるので、学習を積んでいない鑑賞者にそこまで期待することは土台無理なことである。 アートは社会のニーズにこたえるために行っている活動ではない。そのことから、二者の間に認識のズレが生じるのである。また別の言い方をすれば、アートは商品を作っているのではなく、独自性 (アイデンティティー) の探求をしたものが結果として作品になるわけである。それをお金の価値で判断して、商品と同類で語ってはいけないのである。芸術性の高い作品は、そのことを如実に表している。遠い未来に向けて語りかけているのである。
公募展 part 2 として、記したいと思う。近年、公募団体展の役割や意義に大きな変化が訪れていることを前に述べたことがあるが、現在まさにそれを強く実感しているところである。今年の3月まで小さな日本画の公募展の代表を務めていたこともあり、そのことが頭から離れないのである。ここ数年、若者の出品者が全く見られない状況が続いている。特に日本画にその傾向が強いのである。大きな団体は別として、この傾向が顕著のようである。社会情勢の悪化から余裕を持てない現在では、若者が制作を続けようとしてもできない環境があるのである。仕事と絵とどちらが大切だと選択を迫られると、仕事をとるしかないのが現実なのである。そんな中、期待する方が無理なのである。また、今の若者は昔ながらの手作業を嫌う傾向や長い修行を嫌う傾向があるのも要因の一つであろう。手っ取り早く結果が出る CG に走ってしまうのも仕方がないのである。需要も断然 CG のほうが多いので、当然かも知れない。しかし、これを時代の流れだと諦めるのは尚早である。この現状から打破するには、制作を続けることのできる環境づくりをすることが先決である。仕事やお金オンリーの社会から早く脱却して、余裕ある社会を官民一体で築くことからはじまるような気がするのである。
公募展 part 3 として・・・約30年前の公募展全盛時代を境にして徐々に衰微の状態が続いている。全盛当時はそれぞれの団体にはスターとなる人材が存在していたが、今ではほとんど見当たらない。これも時代の変化と捉えてよいのかも知れない。強烈な個性を持った作家の出現がないことに加えて、それを支える国や民間の支援不足がこの結果を招いた一因でもあろうと推測するのである。全盛期には新聞やテレビが大々的に報道をしてくれたものであるが、最近は抑え気味の報道ばかりである。たくさんある公募団体の公平な扱いを考えると、こうならざるをえないことは十分承知できる。また、財政危機が続いた昨今、国や県の支援体制が十分ではなかったことも大きく影響している。しかし、国情を考えれば当然の結果であり、これも時代の波と言える。それらに増して大きい影響を受けたのが、現代美術 ( contemporary art ) の出現である。大規模な構想で大衆をも巻き込み、都市興しに発展するイベントは、活動の輪が広がり、活性化に繋がるものである。このような大構想を考えると、公募団体展のあり方に変化が生じてくることは必至なのである。生き残りを賭けて各団体は、四苦八苦しているのが現状なのである。都美術館ではベストセレクション 美術 2014 なるものを企画しているが、その表れと言えるものである。よい企画ではあるが、この展覧会では有名公募団体だけを選抜して取り扱っている。中・小団体は目もくれないのは片手落ちといえるもので非常に残念である。姑息な対応が見え隠れするのである。
今年(2014年) から活動の場を中央( 東京 )に移すことにしたが、その中央も思っていた程の活気が見られないのである。いろいろな事情で中央展を離れて、東海三県( 愛知・岐阜・三重 ) を拠点に創日展という日本画の公募展を運営をしてきたのであるが、メンバーの高齢化にともなって、難しい状況が生じてきたのである。活路を求めるには組織の統合や合併をするしか存続の道がないことを切に提案したが、賛同を得られず、結局は二名だけの移籍となった。中央は組織が大きいだけに運営面では安定している。でも何か一つ足りないのである。その何かは、地方と同じで若者の出現がないことなのである。これは中央においても切実な問題として立ちはだかっているのである。公募展無用論が叫ばれるようになってからか、あるいは時代の流れか分からないが、団体展の魅力が半減してきていることは確かである。若者の出品者がほとんど見られないのである。やっているのは老人ばかりといった現象なのである。一部の有名公募展に出品者が集中していることも考えられるが、それだけでは説明できないのである。どこの会派も同じような社会現象となっているのである。ファインアート( 芸術 ) を追求できるような環境がないのである。生活に余裕がないためにやりたくてもできないのである。美大や芸大は結構繁盛しているのに後継者が育ってこない要因はここだという結論に達するのである。物から心へと価値観を変えることこそが、明るい未来を切り拓く鍵のような気がするのである。ファインアートは華々しい場面は少なく、自己満足で終わってしまうことが多いものである。やっている本人にとっては自己の挑戦 ( アイデンティティーの証明 ) なのでそれ以上のものを求める必要もない。しかしながら社会が無関心では、そうした行為に憧れる人材も育たないのである。いくら個人的な行為とは言えども、社会がその価値を見出さなければ徒労に終わってしまうのである。これらの貴重な行為を崇めるような社会があってこそ、それに挑戦しようとする若者が出現するのである。そこに切磋琢磨する活力のある芸術が生まれる環境となるのである。
今は少子化が予想されるところの中途段階に差し掛かっていると言ってよいであろう。今後は益々顕著になるようである。国家の存続に関わる重大な問題である。平和になって、安心して暮らせていけることはよいことではあるが、反面、予想もしないような不思議な現象が生じてきているのである。その一つが、この少子化の問題でもあると思うのである。子どもが大事に育てられすぎて、争うことをしない子、協調性のない子、自分勝手な子、我慢のできない子などの人間性に大きく関わる諸問題に表面化してきているのである。もちろん少子化と言われる前にも、これらの問題はあったに違いないが、今のように大きく現象化はしていなかったのである。本来、人間の持っているところのアクティブな面が希薄になっている。俗に言う草食系の若者が目立ってきているのである。これは、あくまでも傾向化である。全てに当てはまるものではないが、一抹の寂しさを感じるのである。知識が豊富な若者達ではあるが、汗を流して行動する体験が不足しているのは一目瞭然である。 コッコッ積み上げる地道な作業を嫌うことや、他人と競争することを嫌う傾向は、我々が育てようとしているファインアートの後継者の問題にも繋がるのである。公募展に出品する若者が極端に減少しているのも、これらの現象の一端なのである。すぐに結果の出る CG (コンピューターグラフィックス) に走ったりするのもこの表れなのである。これも時代が要求する波であると割り切るには時期尚早である。地道に活動するファインアートにもっと光を当てて、若者が憧れる社会を築くことこそ、救う手立てとなるのである。覚めた目で捉えている社会にもう一度、メセナを復活してほしいのである。つまり損得勘定を抜きにファインアートに投資してほしいのである。この効果はきっとブーメラン現象となって、全ての活性化に繋がるはずである。
前回の記事でメセナに大きな期待を寄せる内容を書いたが、補足として付け加えたい。日本が高度成長に差し掛かる頃、年代で言うと昭和40〜50年代に欧米の企業の在り方を模して、行ったのが最初と言われている。商売の儲け主義から脱却して、一般大衆に利益の還元をこのメセナで返したのがはじまりである。この時期は日本にとって経済大国としての地位を国際的に知らしめた絶頂期でもあった。多くの企業がこのメセナに参加をして、莫大な資金を投じたのである。それにより、日本の芸術・文化は大いに発展したのである。メセナによる効果は企業にとっても、あるいは芸術分野においても相乗効果があり、まさに一挙両得のメリットがあったのである。その頃の新聞やテレビ等のメディア各社も賛同して、芸術やもろもろの文化に惜しみのない手を差し伸べてくれたのである。そのおかげて我々のやっていた公募団体展も恩恵に即し、大いに盛り上がったものである。その後、日本経済の低迷時期に入ると、このメセナも様相が一変するのである。これに比例して、県や国の補助金も大幅に縮小されることになったのである。いろいろな文化事業も自然淘汰を余儀なくさせられる結果となり、経済面で言うところの失われた20年に突入したのである。今まで大きく社会に啓発し、盛り上げてくれた各メディアも扱い方が、日に日に縮小されるようになったのである。今まで紙面の文化欄を賑わせていた公募団体展の美術評を、大手新聞がやらなくなると、それに準じて各メディアもやらなくなってしまったのである。その所為とばかりは言えないが、若者の公募展への魅力を半減させた一因と考えられるのである。メディアの影響はいまだに大きいものがあるのである。若者はメディアの発信する記事に敏感である。それに心動かされて、挑戦してみようとするモチベーションに繋がるのである。日本のメセナは経済状況と直結しており、失われた20年ては、その効果を期待するほうがおかしい状況化であった。しかし、今、景気回復が現実のものとなると、期待したくなるのも必然なのである。もう一度、活気のある日本を取り戻そうと・・・・!!
情報化の時代で今まで崇高に捉えていたものが、身近になり過ぎてしまい、かえって興ざめをしてしまうようなことがある。ベールに包まれた方が神秘的であったり、より魅力を感じると思うようなことがよくある。しかし、現実の世界はまさにあっけらかんとしているのである。若者にとっては、実体験がなくても知識として既にあり、あたかも体験したような錯覚に陥ってしまうのである。ここには成し遂げた感動はなく、醒めた知識だけが残るのである。何をやっても結果が先に見えてしまうのである。コッコッやることが無駄骨に思えてしまうのである。汗水流して努力することの尊さを過小評価してしまうのである。社会の仕組みも知識として知り尽くしているような錯覚に陥り、先が読めてしまうのである。今の若者の傾向はこのような現象を指して言われるようになったのではなかろうか。情報化社会とも科学万能の社会とも言われる現在、全ての出来事が解明され、情報化されてしまうと、不変と言われてきた真理にも変調を来たすのである。まさに多様化現象に至らしめるのである。人権的には満たされても、個人に立ち返ると何を指針にどう生きていけばよいのか分からなくなってしまうのである。かっての選択肢が少ない時代が懐かしく思えてくるのである。物は満たされても心の中は不満だらけの現代社会において、心の拠り所を宗教に求める人々が多いと思いきや、それとは反対の宗教離れの現象が起きているのである。これは世界的な傾向のようである。現実離れした宗教の話では、現代人の心は満たされないのである。・・・・寂しくなるような現実ではあるが、別に悲観論を述べるためのものではない。また具体的解決策があるわけでもない。先ずは現状認識をすることからはじまる大きな課題として捉えられるのである。
徒然文・画家の眼より抜粋
絵の世界だけで通じる特殊な話
絵は上手く描くことに主眼においてはならない。上手く描けるようになることは必要条件ではあるが、十分条件ではない。それを乗り越えたところに創造性が生まれるものである。いつも同じ完成度を目指しているとアルチザンの絵になってしまう。アーチストは同じところに止まっていてはいけないと言われるのは、そのことを指している。そして常に新しいトライをすることが芸術家としての使命でもある。絵の習い始めでは、この点に気づきもしないであろう。大抵は学習が深まっていくうちに、自然と気づくはずである。しかし、気づかない人もいる。これは、人が生まれながらに持っている感性や天性によるものかも知れない。絵は生け花や茶道のような習い事とは明らかに違うものである。伝承する文化ではなく、新しいものを造り出していく文化である。そのことから学習の到達点が自ずから異なるわけである。師匠や先生を乗り越えていくような気概がなければ創造活動は成り立たないものである。また、端的に言えば、創造は既成の文化の打破から生まれるものである。タブーを打ち破ることも必要なのである。・・・・・
自分から画家と名乗れるようになるには相当の自信や裏づけがなければできるものではない。自称画家なら誰でも名乗ることができる。しかし、世間一般に通じるには、高いハードルが待ち構えているものだ。公募展で入選や受賞を重ねることによってそのハードルを越えていくのも一つの手である。有名な公募展に一回でも入選すると●●作家と言ってもてはやされるが、本人にとってはとてもそんな気になれるものではない。というのは自分一人の力で入選したのではなく、師匠と言われる先生の力が大きく作用しているからである。もちろん師匠なしに入選や入賞をする高い技量を持った者もいるので一概には言えないが、そういうのは極稀なケースなのである。名の通った作家の中にも、展覧会の出品作は師匠に下図を見てもらってからの場合が多い。以外に思うかも知れないが、これが現実なのである。独り立ちができない作家が、私は「画家です」とか「絵描きです」などと自信を持って言える筈がないわけである。一般の人々はそんな裏話は知る由もなく、一律に画家として捉えてしまうが、そういうことがあることも知っておくとよいであろう。独り立ちができて、初めて画家と言えるのである。すべての責任を自分で負える作家になるためには一朝一夕ではできるものではない。何十年とかかるのがこの画家の道なのである。
日本独特のアートシステムと言われている絵画公募団体展の存続に、危機が訪れている。この傾向は十数年前から徐々に表面化している。ちょうどPCが一般に普及し出した頃と重なっている。従来の絵画の領域である日本画とか油絵等、・・・それら以外の新しい絵画 CG (コンピュータグラフィックス ) の出現から、この傾向が顕著になってきたように思われる。美術系の大学は従来以上に盛況であるにも関わらず、公募展に出品する学生が極端に減少している傾向が見られるのである。一部の有名公募展に集中することも考えられるが、それだけではない不安要因が存在するのである。日本画の部門で見ると、毎年日本画専攻の卒業生が全国で300人くらいは卒業していると言われている。卒業生の多くは公募展の出品をすることもなく、個展で発表することもなく、ともかくも潜行してしまっているのである。修行期間として制作に励んでいるならば問題はないが・・・私の知る限りではそうではなく、大部分が CG に方向転換をしている現状を把握しているのである。これでは、益々の存続危機が発生するわけである。公募展を運営している側では、彼らのような若い人材を確保するために出品料を一般より安く設定したり、年会費を半分にしたりして温情効果を狙っているが、さっぱり効き目がないのが現状である。この状態が十年も続いたら公募展の多くは自然消滅をしてしまうのは明らかである。一般企業と同じように団体展どおしの統合・合併を考えていかないと存続の危機を逃れることはできない。
美術好きや絵画好きの方々が思った以上に多いのに吃驚する。それだけ日本も生活に余裕が出てきた証拠でもあろう。自分では造ったり、描いたりはしないが鑑賞することが大好きという方々によくお会いする。この方々は確かに目が肥えているので、話の内容が高度である。鑑賞者のレベルが高くなってきている現状はすばらしいことである。それはよい一面ではあるが、まだまだ鑑賞者と作家との間には大きなズレがあることも事実である。このズレは狭まることがあっても決して無くなるものではないであろう。アートはスペシャリストの技であるので、学習を積んでいない鑑賞者にそこまで期待することは土台無理なことである。 アートは社会のニーズにこたえるために行っている活動ではない。そのことから、二者の間に認識のズレが生じるのである。また別の言い方をすれば、アートは商品を作っているのではなく、独自性 (アイデンティティー) の探求をしたものが結果として作品になるわけである。それをお金の価値で判断して、商品と同類で語ってはいけないのである。芸術性の高い作品は、そのことを如実に表している。遠い未来に向けて語りかけているのである。
公募展 part 2 として、記したいと思う。近年、公募団体展の役割や意義に大きな変化が訪れていることを前に述べたことがあるが、現在まさにそれを強く実感しているところである。今年の3月まで小さな日本画の公募展の代表を務めていたこともあり、そのことが頭から離れないのである。ここ数年、若者の出品者が全く見られない状況が続いている。特に日本画にその傾向が強いのである。大きな団体は別として、この傾向が顕著のようである。社会情勢の悪化から余裕を持てない現在では、若者が制作を続けようとしてもできない環境があるのである。仕事と絵とどちらが大切だと選択を迫られると、仕事をとるしかないのが現実なのである。そんな中、期待する方が無理なのである。また、今の若者は昔ながらの手作業を嫌う傾向や長い修行を嫌う傾向があるのも要因の一つであろう。手っ取り早く結果が出る CG に走ってしまうのも仕方がないのである。需要も断然 CG のほうが多いので、当然かも知れない。しかし、これを時代の流れだと諦めるのは尚早である。この現状から打破するには、制作を続けることのできる環境づくりをすることが先決である。仕事やお金オンリーの社会から早く脱却して、余裕ある社会を官民一体で築くことからはじまるような気がするのである。
公募展 part 3 として・・・約30年前の公募展全盛時代を境にして徐々に衰微の状態が続いている。全盛当時はそれぞれの団体にはスターとなる人材が存在していたが、今ではほとんど見当たらない。これも時代の変化と捉えてよいのかも知れない。強烈な個性を持った作家の出現がないことに加えて、それを支える国や民間の支援不足がこの結果を招いた一因でもあろうと推測するのである。全盛期には新聞やテレビが大々的に報道をしてくれたものであるが、最近は抑え気味の報道ばかりである。たくさんある公募団体の公平な扱いを考えると、こうならざるをえないことは十分承知できる。また、財政危機が続いた昨今、国や県の支援体制が十分ではなかったことも大きく影響している。しかし、国情を考えれば当然の結果であり、これも時代の波と言える。それらに増して大きい影響を受けたのが、現代美術 ( contemporary art ) の出現である。大規模な構想で大衆をも巻き込み、都市興しに発展するイベントは、活動の輪が広がり、活性化に繋がるものである。このような大構想を考えると、公募団体展のあり方に変化が生じてくることは必至なのである。生き残りを賭けて各団体は、四苦八苦しているのが現状なのである。都美術館ではベストセレクション 美術 2014 なるものを企画しているが、その表れと言えるものである。よい企画ではあるが、この展覧会では有名公募団体だけを選抜して取り扱っている。中・小団体は目もくれないのは片手落ちといえるもので非常に残念である。姑息な対応が見え隠れするのである。
今年(2014年) から活動の場を中央( 東京 )に移すことにしたが、その中央も思っていた程の活気が見られないのである。いろいろな事情で中央展を離れて、東海三県( 愛知・岐阜・三重 ) を拠点に創日展という日本画の公募展を運営をしてきたのであるが、メンバーの高齢化にともなって、難しい状況が生じてきたのである。活路を求めるには組織の統合や合併をするしか存続の道がないことを切に提案したが、賛同を得られず、結局は二名だけの移籍となった。中央は組織が大きいだけに運営面では安定している。でも何か一つ足りないのである。その何かは、地方と同じで若者の出現がないことなのである。これは中央においても切実な問題として立ちはだかっているのである。公募展無用論が叫ばれるようになってからか、あるいは時代の流れか分からないが、団体展の魅力が半減してきていることは確かである。若者の出品者がほとんど見られないのである。やっているのは老人ばかりといった現象なのである。一部の有名公募展に出品者が集中していることも考えられるが、それだけでは説明できないのである。どこの会派も同じような社会現象となっているのである。ファインアート( 芸術 ) を追求できるような環境がないのである。生活に余裕がないためにやりたくてもできないのである。美大や芸大は結構繁盛しているのに後継者が育ってこない要因はここだという結論に達するのである。物から心へと価値観を変えることこそが、明るい未来を切り拓く鍵のような気がするのである。ファインアートは華々しい場面は少なく、自己満足で終わってしまうことが多いものである。やっている本人にとっては自己の挑戦 ( アイデンティティーの証明 ) なのでそれ以上のものを求める必要もない。しかしながら社会が無関心では、そうした行為に憧れる人材も育たないのである。いくら個人的な行為とは言えども、社会がその価値を見出さなければ徒労に終わってしまうのである。これらの貴重な行為を崇めるような社会があってこそ、それに挑戦しようとする若者が出現するのである。そこに切磋琢磨する活力のある芸術が生まれる環境となるのである。
今は少子化が予想されるところの中途段階に差し掛かっていると言ってよいであろう。今後は益々顕著になるようである。国家の存続に関わる重大な問題である。平和になって、安心して暮らせていけることはよいことではあるが、反面、予想もしないような不思議な現象が生じてきているのである。その一つが、この少子化の問題でもあると思うのである。子どもが大事に育てられすぎて、争うことをしない子、協調性のない子、自分勝手な子、我慢のできない子などの人間性に大きく関わる諸問題に表面化してきているのである。もちろん少子化と言われる前にも、これらの問題はあったに違いないが、今のように大きく現象化はしていなかったのである。本来、人間の持っているところのアクティブな面が希薄になっている。俗に言う草食系の若者が目立ってきているのである。これは、あくまでも傾向化である。全てに当てはまるものではないが、一抹の寂しさを感じるのである。知識が豊富な若者達ではあるが、汗を流して行動する体験が不足しているのは一目瞭然である。 コッコッ積み上げる地道な作業を嫌うことや、他人と競争することを嫌う傾向は、我々が育てようとしているファインアートの後継者の問題にも繋がるのである。公募展に出品する若者が極端に減少しているのも、これらの現象の一端なのである。すぐに結果の出る CG (コンピューターグラフィックス) に走ったりするのもこの表れなのである。これも時代が要求する波であると割り切るには時期尚早である。地道に活動するファインアートにもっと光を当てて、若者が憧れる社会を築くことこそ、救う手立てとなるのである。覚めた目で捉えている社会にもう一度、メセナを復活してほしいのである。つまり損得勘定を抜きにファインアートに投資してほしいのである。この効果はきっとブーメラン現象となって、全ての活性化に繋がるはずである。
前回の記事でメセナに大きな期待を寄せる内容を書いたが、補足として付け加えたい。日本が高度成長に差し掛かる頃、年代で言うと昭和40〜50年代に欧米の企業の在り方を模して、行ったのが最初と言われている。商売の儲け主義から脱却して、一般大衆に利益の還元をこのメセナで返したのがはじまりである。この時期は日本にとって経済大国としての地位を国際的に知らしめた絶頂期でもあった。多くの企業がこのメセナに参加をして、莫大な資金を投じたのである。それにより、日本の芸術・文化は大いに発展したのである。メセナによる効果は企業にとっても、あるいは芸術分野においても相乗効果があり、まさに一挙両得のメリットがあったのである。その頃の新聞やテレビ等のメディア各社も賛同して、芸術やもろもろの文化に惜しみのない手を差し伸べてくれたのである。そのおかげて我々のやっていた公募団体展も恩恵に即し、大いに盛り上がったものである。その後、日本経済の低迷時期に入ると、このメセナも様相が一変するのである。これに比例して、県や国の補助金も大幅に縮小されることになったのである。いろいろな文化事業も自然淘汰を余儀なくさせられる結果となり、経済面で言うところの失われた20年に突入したのである。今まで大きく社会に啓発し、盛り上げてくれた各メディアも扱い方が、日に日に縮小されるようになったのである。今まで紙面の文化欄を賑わせていた公募団体展の美術評を、大手新聞がやらなくなると、それに準じて各メディアもやらなくなってしまったのである。その所為とばかりは言えないが、若者の公募展への魅力を半減させた一因と考えられるのである。メディアの影響はいまだに大きいものがあるのである。若者はメディアの発信する記事に敏感である。それに心動かされて、挑戦してみようとするモチベーションに繋がるのである。日本のメセナは経済状況と直結しており、失われた20年ては、その効果を期待するほうがおかしい状況化であった。しかし、今、景気回復が現実のものとなると、期待したくなるのも必然なのである。もう一度、活気のある日本を取り戻そうと・・・・!!
情報化の時代で今まで崇高に捉えていたものが、身近になり過ぎてしまい、かえって興ざめをしてしまうようなことがある。ベールに包まれた方が神秘的であったり、より魅力を感じると思うようなことがよくある。しかし、現実の世界はまさにあっけらかんとしているのである。若者にとっては、実体験がなくても知識として既にあり、あたかも体験したような錯覚に陥ってしまうのである。ここには成し遂げた感動はなく、醒めた知識だけが残るのである。何をやっても結果が先に見えてしまうのである。コッコッやることが無駄骨に思えてしまうのである。汗水流して努力することの尊さを過小評価してしまうのである。社会の仕組みも知識として知り尽くしているような錯覚に陥り、先が読めてしまうのである。今の若者の傾向はこのような現象を指して言われるようになったのではなかろうか。情報化社会とも科学万能の社会とも言われる現在、全ての出来事が解明され、情報化されてしまうと、不変と言われてきた真理にも変調を来たすのである。まさに多様化現象に至らしめるのである。人権的には満たされても、個人に立ち返ると何を指針にどう生きていけばよいのか分からなくなってしまうのである。かっての選択肢が少ない時代が懐かしく思えてくるのである。物は満たされても心の中は不満だらけの現代社会において、心の拠り所を宗教に求める人々が多いと思いきや、それとは反対の宗教離れの現象が起きているのである。これは世界的な傾向のようである。現実離れした宗教の話では、現代人の心は満たされないのである。・・・・寂しくなるような現実ではあるが、別に悲観論を述べるためのものではない。また具体的解決策があるわけでもない。先ずは現状認識をすることからはじまる大きな課題として捉えられるのである。
徒然文・画家の眼より抜粋
2015 第62回 日府展出品展示風景
二度目の努力賞受賞
2015 第62回 日府展出品展示風景
二度目の努力賞受賞
2015 第62回 日府展出品展示風景
二度目の努力賞受賞
2014 第61回 日府展 出品展示風景
東京都美術館にて 2014/05/21〜05/30 まで 努力賞 並びに 一般社団法人 日本画府の参事に推挙される。
2014 第61回 日府展 出品展示風景
東京都美術館にて 2014/05/21〜05/30 まで 努力賞 並びに 一般社団法人 日本画府の参事に推挙される。
2014 第61回 日府展 出品展示風景
東京都美術館にて 2014/05/21〜05/30 まで 努力賞 並びに 一般社団法人 日本画府の参事に推挙される。
2013 第60回 記念展の展覧会風景
奨励賞受賞
2013 第60回 記念展の展覧会風景
奨励賞受賞
2013 第60回 記念展の展覧会風景
奨励賞受賞
アート裏話 I
日本画へ転向して以来、会場芸術 ・大作主義を標榜した川端龍子の考えに深く感銘を受け、それを指針に現在まで制作を続けている。 団体展には 300号大 ( 約 2×3メートルの画面 )の作品 2点の出品を責務として 25年以上が:経過した。これらの作品は普通の家庭では展示は無理なのである。何故、そんな大きな作品を制作するのかという質問をよく受けるが、「 自己への挑戦 ( アイデンティティーの証明 ) です 」 としか言いようがない。「 こんな大きな作品では売れないでしょう 」とか「 絵の具代がすごくかかるでしょう 」 とかの経済的な心配をよくしてもらう。私としては、そんな金勘定は、眼中にないのである。しかも、制作費の元を取ろうと考えたこともない。だから毎年、この展覧会のために数十万円はかかる資金の捻出に、四苦八苦するのである。自分の信念から生じた仕事であるので、簡単には止めるわけにもいかず大変である。一生の仕事 (ライフワーク) として捉えているので長期的戦略が必要となる。制作の資金はなんとか、継続的に工面できる環境になったので、今後は気力や体力の問題になる。この大きさの作品を描くには膨大なエネルギーを必要とする。誰でも簡単にできるというものではなく、長年の経験の積み重ねがあってこそできるものである。この道に進んだ者にしか分からない特殊な話なのかも知れない。
2013.04.25
アート裏話 I
日本画へ転向して以来、会場芸術 ・大作主義を標榜した川端龍子の考えに深く感銘を受け、それを指針に現在まで制作を続けている。 団体展には 300号大 ( 約 2×3メートルの画面 )の作品 2点の出品を責務として 25年以上が:経過した。これらの作品は普通の家庭では展示は無理なのである。何故、そんな大きな作品を制作するのかという質問をよく受けるが、「 自己への挑戦 ( アイデンティティーの証明 ) です 」 としか言いようがない。「 こんな大きな作品では売れないでしょう 」とか「 絵の具代がすごくかかるでしょう 」 とかの経済的な心配をよくしてもらう。私としては、そんな金勘定は、眼中にないのである。しかも、制作費の元を取ろうと考えたこともない。だから毎年、この展覧会のために数十万円はかかる資金の捻出に、四苦八苦するのである。自分の信念から生じた仕事であるので、簡単には止めるわけにもいかず大変である。一生の仕事 (ライフワーク) として捉えているので長期的戦略が必要となる。制作の資金はなんとか、継続的に工面できる環境になったので、今後は気力や体力の問題になる。この大きさの作品を描くには膨大なエネルギーを必要とする。誰でも簡単にできるというものではなく、長年の経験の積み重ねがあってこそできるものである。この道に進んだ者にしか分からない特殊な話なのかも知れない。
2013.04.25
アート裏話 I
日本画へ転向して以来、会場芸術 ・大作主義を標榜した川端龍子の考えに深く感銘を受け、それを指針に現在まで制作を続けている。 団体展には 300号大 ( 約 2×3メートルの画面 )の作品 2点の出品を責務として 25年以上が:経過した。これらの作品は普通の家庭では展示は無理なのである。何故、そんな大きな作品を制作するのかという質問をよく受けるが、「 自己への挑戦 ( アイデンティティーの証明 ) です 」 としか言いようがない。「 こんな大きな作品では売れないでしょう 」とか「 絵の具代がすごくかかるでしょう 」 とかの経済的な心配をよくしてもらう。私としては、そんな金勘定は、眼中にないのである。しかも、制作費の元を取ろうと考えたこともない。だから毎年、この展覧会のために数十万円はかかる資金の捻出に、四苦八苦するのである。自分の信念から生じた仕事であるので、簡単には止めるわけにもいかず大変である。一生の仕事 (ライフワーク) として捉えているので長期的戦略が必要となる。制作の資金はなんとか、継続的に工面できる環境になったので、今後は気力や体力の問題になる。この大きさの作品を描くには膨大なエネルギーを必要とする。誰でも簡単にできるというものではなく、長年の経験の積み重ねがあってこそできるものである。この道に進んだ者にしか分からない特殊な話なのかも知れない。
2013.04.25
アート裏話 Ⅱ
前記の政治と芸術は表向きのきれい事に終始したので、ここではその裏話についても触れておきたい。ピカソは政治に本当に関心があったかどうかは疑問とする見解もある。スペインに生まれながら活動の拠点はフランスのパリであった。当時スペインは内戦状態にあって、混乱の真っ只中であった。そのため彼は、祖国には帰らずにパリにそのまま残った。そのパリからその内戦の元凶である軍部政権に対して痛烈な批判を繰り返していたようだ。抵抗する姿勢を見せるために、わざわざフランスの共産党に入党して外部から祖国の体制批判をしていたのである。彼はその頃から世界的なな画家として名を馳せてていたわけで、彼の発する言葉は大きなインパクトを与えていた。一方、作品で体制批判したのが、かの有名な 『 ゲルニカ 』 であった。しかしながら、彼の生き方に万人が賛していたわけではなかった。彼はスペイン内戦の招集を逃れるためのポーズであって、もともとは臆病者であったという評判もある。彼は権力を極端に嫌う反体制思想の持ち主であったことは、フランスの共産党に入党していた事実から証明できるのである。また、次のように指摘している評論家もいる。「 彼は芸術家にありがちな自己中心主義的な考えの持ち主であった。自分の画業を妨げるものは全て拒否しただけのことであり、もともと政治なんてどうでもよかったんだ 」、「 第2次大戦中もパリにいたのは、絵の具がいつも手に入るから残っただけのことで、政治がどうのこうのではなかったんだよ 」 など・・・・ この説にうなずける節が、確かに経歴の随所に見られるのである。
一方、藤田嗣治についても前記したものとは全く違う説もあるので記して置きたい。ピカソとも親交が深かった間柄であった。同じ時代に世界を股に掛けた画家としての共通点が二人にはあった。共に絵に人生を賭けていた点である。彼は第2次大戦開始直前にパリから日本に帰っている。本心はピカソのようにパリに残って制作を続けたい気持ちがあったのではないかと思われる。しかし、当時日本は世界を敵にまわして戦っていたこともあり、パリに残ることは生死に関わる状況にあったからである。日本に帰ってくると自分の本心とは違う社会体制が待ち構えていた。軍国主義に染まった日本において、反体制的な行動は取れるはずもなく、しかも彼の親族には軍人あがりが多く輩出していたこともあって、自然に軍部のプロパガンダに利用されることになったのである。そうしないと絵の具も手に入らないことから必死の選択をしたものと思われる。また、従軍画家として戦地に赴いたり、戦士の鼓舞のために多くの戦闘画の大作を描いている。国のためにというよりも絵が描けるからそうしたのだという説もある。もともと彼は、「 芸術家にありがちな自己中心主義者で、政治に関心があったわけではない 」、「 国のためと言っているが、もともと顕示欲の強い彼だから目立ちたいためにやっただけだ 」 など・・・・・「 敗戦後、GHQ から戦争責任追求をのがれるために逃げまくった汚い奴だ 」、「絵の具ほしさに心を売った奴 」 などと悪評が実に多いのである。当時の日本美術界においては藤田の行動は異端に見えたのである。また、当時の藤田は日本よりも海外で知られており、日本画壇を無視したような行動は一種の妬みを招いたのであろう。世界的な評価を得ていた彼としては、日本における自分の立場が余りにも低い事実を知り、憤りを感じたのであろう。
表の評価と裏の評価が、余りにも違うと判断に迷いが生じるものである。二人を例に挙げたが、人間である以上、完全無欠などありえないことである。作品の背景を知ることは大切ではあるが、作品のよさはこれとは違うのである。別の言い方をすると人間性がよいからよい作品が生まれるのではなく、人間性が悪くてもよい作品は生まれるのである。しかし、作者と作品は表裏一体の関係にあるのである。人間性がよくても悪くても、その作品に投影されるものである。不思議にも作者不明の名画などはあり得ないことから説明できるのである。
2013.07.15
※ アート裏話 I 、Ⅱ は共に公式サイトの徒然文・画家の眼より抜粋したものです。文の前後関係を見ないと意味を解さないこともありますので、ご承知置きください。
公式サイト> http://nagurahiroo.com
アート裏話 Ⅱ
前記の政治と芸術は表向きのきれい事に終始したので、ここではその裏話についても触れておきたい。ピカソは政治に本当に関心があったかどうかは疑問とする見解もある。スペインに生まれながら活動の拠点はフランスのパリであった。当時スペインは内戦状態にあって、混乱の真っ只中であった。そのため彼は、祖国には帰らずにパリにそのまま残った。そのパリからその内戦の元凶である軍部政権に対して痛烈な批判を繰り返していたようだ。抵抗する姿勢を見せるために、わざわざフランスの共産党に入党して外部から祖国の体制批判をしていたのである。彼はその頃から世界的なな画家として名を馳せてていたわけで、彼の発する言葉は大きなインパクトを与えていた。一方、作品で体制批判したのが、かの有名な 『 ゲルニカ 』 であった。しかしながら、彼の生き方に万人が賛していたわけではなかった。彼はスペイン内戦の招集を逃れるためのポーズであって、もともとは臆病者であったという評判もある。彼は権力を極端に嫌う反体制思想の持ち主であったことは、フランスの共産党に入党していた事実から証明できるのである。また、次のように指摘している評論家もいる。「 彼は芸術家にありがちな自己中心主義的な考えの持ち主であった。自分の画業を妨げるものは全て拒否しただけのことであり、もともと政治なんてどうでもよかったんだ 」、「 第2次大戦中もパリにいたのは、絵の具がいつも手に入るから残っただけのことで、政治がどうのこうのではなかったんだよ 」 など・・・・ この説にうなずける節が、確かに経歴の随所に見られるのである。
一方、藤田嗣治についても前記したものとは全く違う説もあるので記して置きたい。ピカソとも親交が深かった間柄であった。同じ時代に世界を股に掛けた画家としての共通点が二人にはあった。共に絵に人生を賭けていた点である。彼は第2次大戦開始直前にパリから日本に帰っている。本心はピカソのようにパリに残って制作を続けたい気持ちがあったのではないかと思われる。しかし、当時日本は世界を敵にまわして戦っていたこともあり、パリに残ることは生死に関わる状況にあったからである。日本に帰ってくると自分の本心とは違う社会体制が待ち構えていた。軍国主義に染まった日本において、反体制的な行動は取れるはずもなく、しかも彼の親族には軍人あがりが多く輩出していたこともあって、自然に軍部のプロパガンダに利用されることになったのである。そうしないと絵の具も手に入らないことから必死の選択をしたものと思われる。また、従軍画家として戦地に赴いたり、戦士の鼓舞のために多くの戦闘画の大作を描いている。国のためにというよりも絵が描けるからそうしたのだという説もある。もともと彼は、「 芸術家にありがちな自己中心主義者で、政治に関心があったわけではない 」、「 国のためと言っているが、もともと顕示欲の強い彼だから目立ちたいためにやっただけだ 」 など・・・・・「 敗戦後、GHQ から戦争責任追求をのがれるために逃げまくった汚い奴だ 」、「絵の具ほしさに心を売った奴 」 などと悪評が実に多いのである。当時の日本美術界においては藤田の行動は異端に見えたのである。また、当時の藤田は日本よりも海外で知られており、日本画壇を無視したような行動は一種の妬みを招いたのであろう。世界的な評価を得ていた彼としては、日本における自分の立場が余りにも低い事実を知り、憤りを感じたのであろう。
表の評価と裏の評価が、余りにも違うと判断に迷いが生じるものである。二人を例に挙げたが、人間である以上、完全無欠などありえないことである。作品の背景を知ることは大切ではあるが、作品のよさはこれとは違うのである。別の言い方をすると人間性がよいからよい作品が生まれるのではなく、人間性が悪くてもよい作品は生まれるのである。しかし、作者と作品は表裏一体の関係にあるのである。人間性がよくても悪くても、その作品に投影されるものである。不思議にも作者不明の名画などはあり得ないことから説明できるのである。
2013.07.15
※ アート裏話 I 、Ⅱ は共に公式サイトの徒然文・画家の眼より抜粋したものです。文の前後関係を見ないと意味を解さないこともありますので、ご承知置きください。
公式サイト> http://nagurahiroo.com
アート裏話 Ⅱ
前記の政治と芸術は表向きのきれい事に終始したので、ここではその裏話についても触れておきたい。ピカソは政治に本当に関心があったかどうかは疑問とする見解もある。スペインに生まれながら活動の拠点はフランスのパリであった。当時スペインは内戦状態にあって、混乱の真っ只中であった。そのため彼は、祖国には帰らずにパリにそのまま残った。そのパリからその内戦の元凶である軍部政権に対して痛烈な批判を繰り返していたようだ。抵抗する姿勢を見せるために、わざわざフランスの共産党に入党して外部から祖国の体制批判をしていたのである。彼はその頃から世界的なな画家として名を馳せてていたわけで、彼の発する言葉は大きなインパクトを与えていた。一方、作品で体制批判したのが、かの有名な 『 ゲルニカ 』 であった。しかしながら、彼の生き方に万人が賛していたわけではなかった。彼はスペイン内戦の招集を逃れるためのポーズであって、もともとは臆病者であったという評判もある。彼は権力を極端に嫌う反体制思想の持ち主であったことは、フランスの共産党に入党していた事実から証明できるのである。また、次のように指摘している評論家もいる。「 彼は芸術家にありがちな自己中心主義的な考えの持ち主であった。自分の画業を妨げるものは全て拒否しただけのことであり、もともと政治なんてどうでもよかったんだ 」、「 第2次大戦中もパリにいたのは、絵の具がいつも手に入るから残っただけのことで、政治がどうのこうのではなかったんだよ 」 など・・・・ この説にうなずける節が、確かに経歴の随所に見られるのである。
一方、藤田嗣治についても前記したものとは全く違う説もあるので記して置きたい。ピカソとも親交が深かった間柄であった。同じ時代に世界を股に掛けた画家としての共通点が二人にはあった。共に絵に人生を賭けていた点である。彼は第2次大戦開始直前にパリから日本に帰っている。本心はピカソのようにパリに残って制作を続けたい気持ちがあったのではないかと思われる。しかし、当時日本は世界を敵にまわして戦っていたこともあり、パリに残ることは生死に関わる状況にあったからである。日本に帰ってくると自分の本心とは違う社会体制が待ち構えていた。軍国主義に染まった日本において、反体制的な行動は取れるはずもなく、しかも彼の親族には軍人あがりが多く輩出していたこともあって、自然に軍部のプロパガンダに利用されることになったのである。そうしないと絵の具も手に入らないことから必死の選択をしたものと思われる。また、従軍画家として戦地に赴いたり、戦士の鼓舞のために多くの戦闘画の大作を描いている。国のためにというよりも絵が描けるからそうしたのだという説もある。もともと彼は、「 芸術家にありがちな自己中心主義者で、政治に関心があったわけではない 」、「 国のためと言っているが、もともと顕示欲の強い彼だから目立ちたいためにやっただけだ 」 など・・・・・「 敗戦後、GHQ から戦争責任追求をのがれるために逃げまくった汚い奴だ 」、「絵の具ほしさに心を売った奴 」 などと悪評が実に多いのである。当時の日本美術界においては藤田の行動は異端に見えたのである。また、当時の藤田は日本よりも海外で知られており、日本画壇を無視したような行動は一種の妬みを招いたのであろう。世界的な評価を得ていた彼としては、日本における自分の立場が余りにも低い事実を知り、憤りを感じたのであろう。
表の評価と裏の評価が、余りにも違うと判断に迷いが生じるものである。二人を例に挙げたが、人間である以上、完全無欠などありえないことである。作品の背景を知ることは大切ではあるが、作品のよさはこれとは違うのである。別の言い方をすると人間性がよいからよい作品が生まれるのではなく、人間性が悪くてもよい作品は生まれるのである。しかし、作者と作品は表裏一体の関係にあるのである。人間性がよくても悪くても、その作品に投影されるものである。不思議にも作者不明の名画などはあり得ないことから説明できるのである。
2013.07.15
※ アート裏話 I 、Ⅱ は共に公式サイトの徒然文・画家の眼より抜粋したものです。文の前後関係を見ないと意味を解さないこともありますので、ご承知置きください。
公式サイト> http://nagurahiroo.com
2015パリ・マドレーヌ寺院 「恒久平和展」 へ出品
フランス パリ・マドレーヌ寺院において
2015パリ・マドレーヌ寺院 「恒久平和展」 へ出品
フランス パリ・マドレーヌ寺院において
2015パリ・マドレーヌ寺院 「恒久平和展」 へ出品
フランス パリ・マドレーヌ寺院において
第63回 日府名古屋展にて愛知県知事賞を受賞する
平成28年6月8日(水)
第63回 日府名古屋展にて愛知県知事賞を受賞する
平成28年6月8日(水)
第63回 日府名古屋展にて愛知県知事賞を受賞する
平成28年6月8日(水)
A.M.S.C. スペイン本部芸術家会員となる
A.M.S.C. スペイン本部アルフォンソ・ゴンサレス=カレーロ氏より 「 A.M.S.C. 本部芸術家会員証 」 (会員ゴールドカード) が届いた。
A.M.S.C. スペイン本部の目的である 「 日本とスペインとの国際文化交流支援、世界各国の芸術の発展促進と普及、国際交流を通じた相互の文化向上 」を担う芸術家として、更なる発展を心よりお祈り申し上げる・・・・とある。これを機会に気を引き締め、新たなる展望を切り拓いていきたいと意を強くしたところである。
2016.11.10
A.M.S.C. スペイン本部芸術家会員となる
A.M.S.C. スペイン本部アルフォンソ・ゴンサレス=カレーロ氏より 「 A.M.S.C. 本部芸術家会員証 」 (会員ゴールドカード) が届いた。
A.M.S.C. スペイン本部の目的である 「 日本とスペインとの国際文化交流支援、世界各国の芸術の発展促進と普及、国際交流を通じた相互の文化向上 」を担う芸術家として、更なる発展を心よりお祈り申し上げる・・・・とある。これを機会に気を引き締め、新たなる展望を切り拓いていきたいと意を強くしたところである。
2016.11.10
A.M.S.C. スペイン本部芸術家会員となる
A.M.S.C. スペイン本部アルフォンソ・ゴンサレス=カレーロ氏より 「 A.M.S.C. 本部芸術家会員証 」 (会員ゴールドカード) が届いた。
A.M.S.C. スペイン本部の目的である 「 日本とスペインとの国際文化交流支援、世界各国の芸術の発展促進と普及、国際交流を通じた相互の文化向上 」を担う芸術家として、更なる発展を心よりお祈り申し上げる・・・・とある。これを機会に気を引き締め、新たなる展望を切り拓いていきたいと意を強くしたところである。
2016.11.10
「A.M.S.C. スペイン本部芸術家会員記銘モニュメント」に記銘される
“Japon-Espana unidos el arte” 「 日本とスペインの芸術による交流 」と銘打たれた本モニュメントは、芸術の保護と推進を目的とする財団 「 バジェ・デ・ロス・スエニョス財団 」の管理の下、スペインの地で半永久的に展示公開され、両国の芸術交流の象徴となるでしょう。
A.M.S.C. スペイン本部の目的である 「 日本とスペインとの国際文化交流支援、世界各国の芸術の発展促進と普及、国際交流を通じた相互の文化向上 」を担う芸術家として、更なるご発展を心よりお祈り申し上げます。
謹白
「A.M.S.C. スペイン本部芸術家会員記銘モニュメント」に記銘される
“Japon-Espana unidos el arte” 「 日本とスペインの芸術による交流 」と銘打たれた本モニュメントは、芸術の保護と推進を目的とする財団 「 バジェ・デ・ロス・スエニョス財団 」の管理の下、スペインの地で半永久的に展示公開され、両国の芸術交流の象徴となるでしょう。
A.M.S.C. スペイン本部の目的である 「 日本とスペインとの国際文化交流支援、世界各国の芸術の発展促進と普及、国際交流を通じた相互の文化向上 」を担う芸術家として、更なるご発展を心よりお祈り申し上げます。
謹白
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「A.M.S.C. スペイン本部芸術家会員記銘モニュメント」に記銘される
“Japon-Espana unidos el arte” 「 日本とスペインの芸術による交流 」と銘打たれた本モニュメントは、芸術の保護と推進を目的とする財団 「 バジェ・デ・ロス・スエニョス財団 」の管理の下、スペインの地で半永久的に展示公開され、両国の芸術交流の象徴となるでしょう。
A.M.S.C. スペイン本部の目的である 「 日本とスペインとの国際文化交流支援、世界各国の芸術の発展促進と普及、国際交流を通じた相互の文化向上 」を担う芸術家として、更なるご発展を心よりお祈り申し上げます。
謹白