長年続けてきた不退院のホームページを大きくリニューアルいたしました。
新しいホームページの一コマです。
中島董一郎家の本家について
中島董一郎家の本家跡を臨んで
中島董一郎家の本家は眼科医院でもあった。この写真の右前一帯に当たる。明治のはじめまでは中島家の屋敷が残っていたことを市役所の地図が証明している。その後この屋敷は小学校になっている。どのような経緯で小学校になったかは記録に残っていない。中島家の寄進で建ったものか、売り渡された土地を小学校にしたのかどうかは分からない。小学校の名前は道目記郷学校(豊田村)となっていることが福地村村史に記録されている。この中島家の経営する眼科医院は、その当時は馬嶋流眼科医として名をはせている。栄えた中島眼科医院もその後、屋敷を手放さなければならない状態になり、菩提所である不退院とも縁が切れることになってしまう。現在、不退院には中島家の墓碑が6基残っている。長方形の上部に横線の入る独特な墓の形をしている。養林寺にある中島董一郎家と同じ形態である。墓碑には眼科医を予想できるような戒名が付けられている。今では訪れる人もなく無縁墓碑となっている。60数年くらい前までは、中島家のゆかりの方がお参りをしていたことを先代の住職から聞いている。まさに、栄枯盛衰を中島家から感じ取ることができる。この中島家の関係の中にキューピーマヨネーズの創業者である中島董一郎氏がいることを20年程前までは知る由もなかった。不退院にとってもうれしいかぎりである。不退院を通して繰り広げられる歴史の事実を考えると夢とロマンを感じ取ることができる。
なお、小学校になった中島家の屋敷跡は現在、畑地となっている。
令和3年5月
中島董一郎
『中島董一郎の世界 西尾が生んだ大実業家』(編者高橋敬忠、2003年)
不退院の歴史
本山の発行する定期刊行物 『ちかい』 に掲載されました。(クリックすると拡大します)
現住職27世 願空弘雄は日本画家
参考: 願空弘雄
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