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絵ごころについて

 最近思うことで、気になることがあります。コンピュータが日常的になったせいか、誰もが簡単にコンピュータを操作できるようになりました。そして画像を扱うソフトもたくさんでき、簡単にいろいろな絵ができてしまうようになりました。便利といえば便利ですが、本当に絵やデザインを学びたい人にとっては、気をつけたいところです。絵やデザインの基礎・基本を学ばないでいきなりCGやいろんなデザインに入ってしまうと、途中で必ず発想の糸が切れてしまうからです。深く追求していくと、かならず基礎・基本にぶつかるからです。 今はよくても、何年かの間にきっと来る問題なのです。そんなこと知ったことかと思うかも知れませんが、私自身何度も体験していることです。初心に返って、もう一度確かめて見る必要があります。

ものを見る目を養うこと・・・いろいろなものを実際に手で描いて確かめることです。デッサンをしたり、スケッチやクロッキーをしてものを見る力を養うことです。そうすることによってものの表面だけでなく、ものの内側まで見えるようになってきます。

古い文化も学ぶこと・・絵やデザインをする人は、現代的で新しいもの好きな人が多いが、実は古い文化の中にいろんな発想の糸口があるんです。なにげなく見たんでは、その意味は分からないが、じっくり研究してみると、そのよさといろんな発見が見えてきます。

がまんづよく続けること・・・自分にとってこれだと思ったことは、長く続けることです。人の意見に惑わされないで、「今にみておれ」と言う気持ちでとにかく夢中になってやってみることです。途中で惑わされるときがあるかも知れません。5年は続けてみるときっと答えがでてくると思います。


自分だけのオリジナリティーを見つけること・・・はじめは人の模倣から入ってもよいけれど最後は、自分だけのものを作ることです。他の人もきっと同じことをしているというのはだめです。自分しかやらなかつたこととか、人のやらないことを見つけなくてはいけません。人が自分の考えたことを真似するようになったらたいしたものです。ピカソの作品を見て下さい。真似したくなるものがいっぱいありますね。それなんです。

表現意欲がたっぷりあること・・・本をたくさん読んで絵の描き方が分かっても、実際に作品を作らない人はだめです。知識で分かっても、実際にやれるわけないんです。実際にやってみると本には書いてない、文章に表現できない問題がいっぱいあるのです。何度も何度も繰り返して表現することが次のステップにつながるのです。途中であきらめてしまう人は美術家にはなれません。

金勘定をしないこと・・・自分のやっていることをすぐに損だとか、得だとか考えないことです。人に認められなくとも続けてやってみることです。いつかはきっと認められるという希望をもって制作を続けることです。不思議と一人ぐらいは、良き理解者がいるものです。

自分の考えをもつこと・・・和して同ぜずと言う言葉がありますが、まさにそれです。人にすぐ合わせてしまって自分の考えをもたない人はだめです。 創作するということは、自分だけの考えを持つということです。頑固なこだわりを心にひそめていることが大切です。 ものを作り出すという行為は、大変孤独な作業です。その孤独に耐えられる人でないと続けられません。人とわいわいやっておらないと不安でいやだという人は美術家としてむきません。しかも、忍耐強い性格であることが大切です。





日本画について

 岩絵の具・・・字のとおり岩を砕いてできた絵の具である。絵の具は一般に5から13まで番号がついている。数が少ないほど絵の具の粒子が粗く、数が大きいほど絵の具の粒子が細かくなる。そして、荒い粒子の絵の具は濃い色で細かい粒子は薄い色になる。13番以降の絵の具はびゃく(白)と言って白に近い明るい色になる。絵の具の扱いは、粒子が粗い色ほど難しくなる。普通よく使う絵の具は、8から11番ぐらいの絵の具が多い。しかし、描く人の好みによるので何番がいいのかは、その人による。自分が使用する色によってそろえる必要がある。群青の好きな人は、何番から何番の絵の具が必要か選ばなければならない。そのようにして他の色の絵の具も選ばなければならない。すべての色をそろえることは、不可能なので、色選びは、画材店へ行って直に見て買う必要がある。もちろん、金に糸目をつけない人にはすべての色を購入することは可能である。その岩絵の具に膠を混ぜて筆や刷毛で塗る。岩絵の具だけでは実際に色を付けることはできない。油絵の具のようにすぐに塗れるというわけにはいかない。その辺がやっかいな、即興性のない、扱いにくい画材でもある。しかし、色はどんな絵の具よりきれいなので、その魅力にとりつかれてしまうことが多い。宝石を砕いた絵の具だからきれいで当たり前である。もちろん、人工でできた安い絵の具もあるが、塗りにくいことと、色に深みがないことを覚悟しなれればならない。絵の具の計量は一量目(両目)単位ではかり売りで購入することになる。 膠・・・岩絵の具に混ぜてぬ塗る一種の糊である。動物性のものでゼラチンを主成分にした接着剤に近いものである。粒状のものと棒状のものがあるが、自分の好みで選べばよい。水で煮込んで使うが、膠と水の量は自分の経験と勘で身につける必要がある。はじめは先生について学ぶことが近道である。微妙なものなので言葉だけでは説明できない。生ものの糊であるので、すぐに腐ってしまう。夏場は一日で腐ってしまう。冬場は三日ぐらいはもつ。冷蔵庫などに入れて数日もたすこともできる。しかし、鮮度は落ちるので気をつけたい。描くそのつど作るほうが賢明である。夏場はやや薄く、冬場はやや濃くつくるのがよい。その勘は長年の経験によるもので、自分で見つけ出すものである。扱いを間違えると絵が割れてくるので十分と注意を払わなくてはならない。冬場で絵を乾かすために暖房機を使ったりするが、絵に近すぎると割れたりする。誰もがよく失敗する例である。下の絵の具が乾かないうちに塗ると、下地が壊れてしまうので注意をしたい。じいっと我慢して乾くのを待つ、忍耐強さが必要である。日本画は、絵を描く前の準備に時間がかかり、色を塗っても乾くまでに時間がかかり、大変根気の必要な画材である。油絵のように即効性がないので途中で作画意欲が薄れてくる心配がある。描く前の下準備をしっかりして、腰を据えて取り組むことが大切である。画材の扱い難さが表現技術の問題として大きくクローズアップしてくるので、心して取り組む必要がある。油絵の画材は扱いやすく、初心者でもすぐ描くことができるが、反面他人にないものを見つけ出すことは、至難の技が必要となる。日本画にしろ油絵にしろ自分だけの表現を見つけ出すことは、大変な努力がいるものである。  自分はどんなものを絵として描きたいのか考える必要がある。はじめはいろいろなものを習作として描くと思うが、そのうちに自分の得意な主題は何かを自覚するようになる。日本画の画材の特性からして油絵のような自由な主題が選べないことに気づくと思う。どうしても主題設定に制限ができてくることを覚悟しなければならない。その枠を壊す作画については、描く本人の制作意欲にかかわってくるので次の機会に考えたい。続けて追求したいテーマを見つけることは、簡単なものではない。絵画全般についてよく研究をし、見つける必要がある。普遍性のあるテーマがいいが、そうかといって誰もが追求しているものだと個性を発揮できないので注意しなければならない。できるだけ長く追求できるものがよい。最低5年は続けてほしい。きっと自分だけの表現が見つかるはずだ。  日本画でも洋画でもかならず必要な技法がある。知らないでやるよりも知っていてやる方が自信につながる。技術にあまりこだわりすぎると、反面、自由な創作ができなくなるので気をつけたい。進んでくると技術を壊す作画もあることに気づくようになってくる。しかし、これはずいぶん先の研究になるので、本人の意欲によるものである。絵画全般に必要な技法として構図法がある。日本画と洋画の構図法は少し違うが、さしあたって洋画の構図法を学んでほしい。三角形構図とか平行線構図とか言われる構図法のことである。詳しくは自分で研究してほしい。絵を描く時の効果的な組み立てができるからだ。大切な技法になる。日本画では描きたいものを画面の中心におくことが多い。独特な構図として余白を生かす方法がよく使われる。洋画のように画面のすべてを描き込むのではなく、描かない部分をつくり、全体の調和として作画をすることが多い。しかし、近年は日本画も洋画もなく、画材の違いだけで描かれていることが多く、一見しただけでは日本画と洋画の区別がなくなってきている。さて、どちらを選ぶかは本人の考え次第である。先ほども言ったが知ってやるのと知らないでやるのと大きな違いがあることを知ってほしい。  絵の大きさ・・・日本画も洋画も規格が統一され、同じである。F号は肖像、P号は風景、M号は海景画用となっている。もちろん、それらに入らない規格は変形としてある。はじめは小さい画面で学ぶと思うが、だんだんと大きな画面に挑戦したくなると思う。応募の団体展は100号以上のものが多いので、少しずつ挑戦していくことが次ぎの進歩につながると思う。大きい作品は大作といって意欲の表れである。日本画では、作品の大小にかかわらず制作の過程が同じであるので小品でも時間がかかる。色を塗って乾燥させ、また塗ってという行程で完成させるので大作でも小品でもかかる時間がほとんど一緒である。また絵の具の特性から小品ほど細かい技法が必要になる。だから小品がうまく描けるようになれば大作は、比較的楽にこなせる。洋画と違う点である。洋画において小品は比較的楽に描けるが、大作になると結構時間もかかり、技法も難しくなるという違いである。  日本画は、パネルに張った紙の上に描き、洋画はキャンバスの上に描くのが通常である。もちろん、これ以外にも描くことは可能である。それは勉強していく過程で自分で開発することである。一般的なことを記述する。日本画のパネルは額屋さんで作ってもらい、紙をはるのは自分ですることが多い。紙は、鳥の子紙か麻紙を使うことが多い。裏に裏打ちと言って補強のための紙を貼ることである。細川紙を使うことが多い。裏打ちをした後は水張りと言ったりしているが、慣れてくればたいしたことではない。 紙についても今後、自分で開拓していけるものである。丈夫な紙でないと作画の途中で破れたりするので注意が必要である。洋画で使う麻布を使って描くことも可能である。その場合下地をしっかり作っておかないと発色が悪くなる。それ以外に、板の上に描くことも可能である。昔の技法で絹の上に描く絹本というのがある。これは、掛け軸の作品を作る時に使うが、あまり一般的には描くことはない。小品は麻紙ボードが市販されているのでそれを使うことができる。もちろん、自分で作ってもかまわない、大きさをいい加減にすると後で、特注の額が必要になるので注意したい。又紙の上に描く場合ドーサ引き(防水加工)をする必要がある。  日本画は、いったん描き出し制作を進めていくと途中で変更が簡単にはできないので描く前によく検討して制作に入ることが大切である。そのために下図づくりが大切になる。小下図を作り、その後、実物大の大下図を作って2回行うことが一般的な制作過程である。しかし、慣れてくれば小下図をやってすぐ大作に入ることもできる。本人の力量次第である。 日本画は輪郭線が大切な要素になるので最後まできちんとした形取りが必要になる。洋画のように輪郭線なしでマッスでとらえることはできない。絵の具の特性からそうなるわけである。また、洋画のように強い表現はできないので、その点は自分で工夫することが大切である。最初は粒子の粗い色から塗っていく、そしてだんだんと細かい絵の具を塗っていく。これも絵の具の特性からくるものである。一番下に細かい絵の具を塗ると後で割れることがあるので注意したい。このことは勉強して行くうちに自然と理解できるものである。岩絵の具は粒子が粗いので最後まで下の絵の具が残る。透明画法と同じである。だから色の使い方は今後研究の余地がたくさんある。下に何色を塗って上に何色を塗ると、どんな色になるか計算して彩色しなければならない。長年の経験が物言う大切な技術である。  洋画には、構図法とか構成の要素が必須事項としてあるが、日本画ではあまり言わない。しかし、これをしっかり理解しておくと、今後の制作に大いに生きてくるので注意したい。構成の要素とは、リズム、ハーモニー、バランス、コンポジション、対比、ムーブマン、マッス、グラデーション、セパレーション、アクセントなど・・・自分で研究すること。ついでに黄金分割についても研究しておくこと。これは作画する時によく使う要素である。  絵以外の知識を豊富にすることが、今後の制作の助けとなる。いろんなものに挑戦して、スケールの大きい作品を目指してほしい。しかも、誰もがやらないことを考えたり、見つけたりして常に新しい表現を目指してほしい。芸術とは、タブーを破ることから始まるという名言がある。知識は知識として頭に入れておき、後は自由に判断をし、時代の先陣をいく美術家になってほしい。     


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よい絵とは NO.1

 習いはじめの頃は、どのような絵を描いたらよいのか迷うと思う。先ずは、身近にあるものを何でもスケッチをして描写力をつけることが大切である。正確に写し取る技術を身につけ、どんなものでも描けるという自信をつけることだ。これをデッサン力という。だんだんと力をつけていくと動くものでもとらえることができるようになる。素早い人物の描写をクロッキーと呼んでいる。洋画家の中には、このデッサンやクロッキーの大変うまい人が多い。基礎的技術として必須だからである。日本画ではあまりデッサン力ということは言わないが、写生という言葉で表現している。内容的には同じことをさしているが、多少ニュアンスの違いがある。日本画では画材の違いからくる表現で、線描が中心になる。洋画ではかたまりとしてとらえるために陰影を中心にしたマッスとして描くことが多い。もちろん日本画のように線描でとらえる表現もある。日本画は輪郭線が大切な要素になるので、自然に線描になるわけである。輪郭線と輪郭線の間を岩絵の具で彩色するわけである。陰影ももちろん考えなければならないが、洋画でいう陰影とは少しちがう。というのは、岩絵の具という材質では洋画のように自由に陰影はつけられないので、日本画独特な物質感のある表現になる。洋画のようなリアルな陰影描写はできない。いろいろ描いていくうちにこの問題は理解できると思う。日本画は一般的に洋画と比べてソフトな感じの絵に仕上がる。油絵のようなギラギラ感はない。また強い表現は、できないので木綿か麻の布の表面のような絵肌になる。しかし、最近の絵では洋画と見間違えるような表現をしている画家もいるので、かならずしも当てはまるとは言えない。絵の具は日本画の場合、大変高価であるのが普通である。特に天然の岩絵の具は、高価である。中には宝石の岩を使ったものもあるので、ちょっとやそっとでは手が出ないものまである。絵が売れるようになれば買うこともできるが・・・安価な絵の具は人工でできたものが多い。塗りにくいことと、絵の具が膠にしっくりとなじまないことがやっかいだ。よい色の絵の具はほとんどが天然のものなので、高価ではあるが、絵の最後の仕上げに使うことが多い。絵の下地には安価な絵の具を使って、仕上げに近づくと高価なものを使うことになる。下地には安価な水干(すいひ)絵の具と岩胡粉を混ぜたものを使うことが多い。仕上げの70パーセントぐらいは、この安価な絵の具で造っていく。これは、人それぞれで使い方が違うので、およその目安にしてほしい。はじめから高価な絵の具を使って描く画家もいるので、自分の懐具合をみてやればよい。さて、本題に戻って、よい絵とは・・・これは日本画も洋画も然したる違いはない。いろいろな観点があるので、秩序だてて述べることは難しい。適当に判断をして役立ててほしい。一見して人目をひく絵であること。・・・描くモチーフがよい場合や色感がよい絵や構図がよい絵、アイデアが新鮮で奇抜さがあったり、今までお目にかからなかったような絵とか、一目で注目するような絵がよい絵である。これらの条件が総合して観る人の心を動かすわけであるので、理屈では表現できないものである。はっとするような一見はよくても、すぐ飽きてしまうような絵では駄目である。じーっと見ていて、これはよいとつくづく思う絵がよい。ネクタイの色柄を選ぶようなつもりで鑑賞するとよい。 これにかなうような絵がすばらしいわけである。なかなかこんな絵にはお目にかかることはないと思う。誰かさんの絵に似ているというのは、亜流になってしまうのでよくない。オリジナリティーのある絵はよい絵である。このオリジナリティーを身につけるにはとてつもない努力が必要だ。途中であきらめてしまう人には、絶対に身につかないものである。また、よい絵は絵肌がきれいである。言い換えるとマチエールのしっかりした絵ということになる。絵の具がしっかりと物質感を表現している絵はよい絵である。前に述べたが、木綿や麻のような肌触りのある絵がよい。同じものを描いても構図のよい絵は人目をひく。一見単純に見えても、よく見ると複雑な組み合わせのある絵がよい。第2作目が期待できそうな絵がよい絵である。未来の可能性を予感させるような絵がよい。画面の隅々描き込んだ絵は駄目である。画面に抜けるところがほしい。 それが風景画なら、空であったり、海であったりする部分がほしい。描く部分と描かない部分が絵には必要だ。画面の1/4くらいしっかり描いてあとは軽く描くくらいがよい。組み立て(構図)がしっかりした、ちょっとやそっとでは崩れない絵がよい。色彩は淡くとも、訴える主題性がはっきりしたものがよい。見るからに自信を感じさせる絵がよい。展覧会に出品する場合、大きさに制限がなければ、できるだけ大きい作品をねらうのがよい。しかし、大きいだけで技術の伴わない作品では駄目だ。技術が同じぐらいな作品なら、大きい方が迫力を感じさせるからである。額も制限がなければ、絵にぴったり合ったよい額を奮発するとよい。額によってずいぶんと感じが変わるからだ。時間をかけて完成した絵は重厚な雰囲気を醸し出すことが多いが、必ずしも時間をかけた絵がよいわけではない。これは長年の勘で身につけるものである。前にも述べたが、画面の隅々まできちんと描き込んだ作品は退屈になる。どこをしっかり描いて、どこを軽く描くかは、本人の研究成果による。名画をよく観て研究するとよい。 日本画は岩絵の具の扱いが難しいので、それをしっかりマスターしないと絵が描けないこともあって、よい先生について技術を学ぶことが近道である。もちろん独学でやってもよいが、相当な覚悟を必要とする。最近は日本画に関する本が多く出版されているので、独学の道も開けてきた。昔は先生から弟子に受け継がれてきた秘法でもあるので、先生につくしか道がなかった。義務教育では日本画を扱っていないので、意欲のある者は、今言ったように2つの方法から学ぶことになる。日本画らしい絵とか、洋画らしい絵とかいうが、本当によい絵は同じである。画材が違うだけでよい絵は、いろいろな条件をクリヤーして完成した絵のことである。(構図、色彩、独創性、主題性、可能性、表現技術などの条件をさす。)  



よい絵とは NO.2

 学校で習う習作的な絵は自発性がないので作品としての価値は低い。自発性を伴ってできた絵は作品としては価値は高く、よい絵の条件には入る。ただ、人から与えられた主題(テーマ)をこなしているだけでは、自発性のある作品とは言えない。どんな主題で作品をつくるのかは自分で見つけなければいけない。ただ展覧会に入選するためだけの主題設定では、途中で息切れを起こしてしまう。美術家として長く続ける意志があるなら、よく考えて主題を見つける必要がある。しかしながら、団体展で入選しないことには、次の作家としてのステップが踏めないので、はじめからしっかりした主題にこだわらずに、入選することを目標に今後の主題設定を決めていく方向がよい。団体展での作品の発表は、独りよがりにならず、他人と競うことにより自分の力をつけていくよさがある。反面、入選することに高い意義を見つけてしまい、自分を見失ったりする欠点があることも注意しなければならない。具体的に言うと作品に独自性が発揮できずに、誰かの作品の亜流になったりすることが多く見られるからだ。この判断を誤ると、途中でスランプになったり、作家生活を挫折しなければならないことになるので、自分自身でしっかりした考えをもって取り組むことが大切だ。 これを読んでいる多くの方はきっとプロの作家を夢みていることと思う。私がこうしてえらそうなことを述べているが、自分自身プロの作家ではない。生活の糧は他に求めている。絵だけで生活している作家を一般的にはプロと言っているが、作品の良さはプロもアマチュアもない。日本の風土では絵だけでの生活は所詮無理だ。気長に作家生活を続けるためには、経済的余裕がないことには作家生活は長く続けられない。絵だけで生活できる作家は、ほんの一握りの幸運な人達だ。しっかりした生活の基盤をつくってから、自分の道を究める必要がある。他人と同じような贅沢をしてこの道を進もうとするのは、所詮無理なことだ。趣味程度にやろうとするなら、さほど問題はないが・・・きっとプロをめざしていると思うから、その辺を頭に入れて、地についた努力を期待したい。絵が認められるまでは他の仕事を持ちながら作家生活をしなければならない。そこまで辛抱できた者がプロの作家としての道が開けるわけである。並大抵なことではない。私の絵の仲間で絵だけで生活している者もいる。俗に売り絵を描いている作家である。彼は売り絵を毎日描いているので技術的にはすばらしいのもを身に付けている。しかし、展覧会の絵はどうも冴えない。売り絵に力を入れすぎてしまい芸術性に乏しい、技術だけに頼った作品しか描けなくなってしまったからだ。こうなると本当の意味のプロとは言えない。絵だけで飯を食っているからプロと言えなくもないが、作品づくりの根本を見失ってしまった作家は芸術性の高い作家とは言えない。新しいものを作り上げるという気概のない作品は、ただきれいだけの内容の乏しい作品になってしまう。感動のない、ただの癒しの絵ではプロの作品とは言えない。斬新さ、奇抜さ、独創性、感動性などが高く、表現技術を超えた作品で、次作に期待がもてそうな暗示のある作品がよい。いろんな絵を鑑賞して、鑑賞眼を養っていくことが今後の作家生活に大切だ。自分だけの世界を見つけるためには、自分の殻だけに閉じこもっていては見つけることはできない。いろいろなものに挑戦して幅広い知識を身につけなければならない。しかも、絵だけの知識では不十分だ。他分野で興味や関心のあることがらに精通して、それを作品に取り入れていけばきっと、他人にない独自性が生まれてくるはずだ。ルネッサンス時代の天才、レオナルド・ダ・ビンチのようにいろんなものに興味をもち発明・発見するような取り組みが作家生活には大切だと思う。プロの作品は100枚描いたら99枚秀作でなければならない。時たま、いい絵を描くのではアマチュアの領域だ。誰もがハッとするような絵が描けたら幸せだ。         


Q and A コーナー




Q:日本画とは何ですか?
描く画材の違い(岩絵の具)と日本独特の絵画表現方法です。 絵ごころとしては日本画も洋画も然したる違いはないものと思います。


Q: 日本画に関する書物にはどのようなものがありますか?
洋画に比べると非常に少ないと思います。何故かと言うと師匠から弟子に伝えていく秘法でもあるので、なかなか公表されてないこともあります。昔はよい先生について習うことが近道であったこともあります。 義務教育では日本画を扱っていませんので、独学は難しいと思われます。 サーチ‐エンジンで 『日本画の技法』 と検索すると関係の書物が表示されますので、それを選択するのもよいかと思います。


Q:日本画の技法にはどのようなものがありますか?
画材(岩絵の具、墨、膠、和紙、水張り、裏打ちなど)の扱い方の基本的な技法の他、 写生(デッサン)、配色、構図、下絵(大下図、小下図)などの技法の他、 絵ごころ(絵に対する心構え)などの他、 箔の取扱方、大作、小品の制作などの技法 その他、諸々の技法がありますので制作を通して、一つ一つ身につけることが大切です。


Q:日本画の岩絵の具と洋画の絵の具にはどのような違いがありますか?
岩絵の具は定着剤として膠を使いますが、油絵の具や水彩絵の具は樹脂やアラビアゴムなどの定着剤が絵の具に含まれています。 上記のように岩絵の具と膠を自分の手でしっかりと混ぜ合わせ、調合をして塗っていくことになります。それに対して洋画の画材にはすでに定着剤が入っていますのでそのままを使って塗ることができます。もちろん油や水の調合は必要です。 日本画は洋画に比べて機動性がありませんので野外で作品を完成することができません。画室に籠もって制作することが多くなります。


Q:水墨画は日本画に入りますか?
厳密に言うと領域が違います。それぞれに独自の領域を持っています。水墨画調でも岩絵の具が所々使われていれば日本画に入ると思います。日本画の下図は水墨画ですのでお互いに関連は深いところにあります。 最近の日本画では部分的にアクリルを使っている絵もありますので厳密な区分ができなくなっています。 アクリルを使っても絵に違和感がなければ問題はないと個人的には考えています。


Q:日本画の遠近法はいつごろから使われるようになりましたか?
厳密には明治前の絵に対しては日本画とは言いませんが、広い意味で日本画と言う場合もあります。その観点から言いますと遠近法が絵に現れてくるのは浮世絵からであると思われます。歌川広重や葛飾北斎の絵にはしっかりした遠近法が使われています。その他、秋田蘭画にも見られます。(※ 広重は安藤とも呼ばれますが絵師としては歌川が正しい呼び方です。) この遠近法は蘭学を通して伝えられたものと思われます。この頃から日本画には見られなかった陰影法も伝わっています。いち早く取り入れた画家の一人が渡辺崋山です。 この遠近法は西洋のルネサンス時代に確立した線遠近法のことを指して言います。 日本画では独自なものとして、長谷川等伯の松林図に見られるような墨の濃淡による遠近法などがあります。(空気遠近法の一種と考えられます。)


Q:絵ごころについて孤独に耐えられる人でないと向かないとはどんなことですか?
『ものを作り出すという行為は、大変孤独な作業です。その孤独に耐えられる人でないと続けられません。人とわいわいやっておらないと不安でいやだという人は美術家として・・・』の欄で誤解を生ずる表現でしたので補足をします。 ピカソは制作中以外は一人でいることを大変嫌ったと言われていますので、解釈の仕方では誤解を生ずる内容でした。 ここではユングやヤスパースの言う性格的特徴をうんぬんすることではなく、制作への取り組みを強調したものです。


Q:CG全盛の時代に日本画は必要でしょうか?
コンピューターを使って簡単に絵ができてしまう時代であるからこそ、無駄足をふむような手作業を通して出来上がった日本画の価値が認識されるものと思います。共によさを取り入れながら新しい表現をめざしていきたいものです。


Q:黄金分割(黄金比)とはどのような分割のことでしょうか?
長い部分と短い部分の比が全体と長い部分の比に等しい比率の分割のことを指します。数値に換算すると 1 : 1.618 の比率になります。家具をはじめとして多くの調度品の縦と横の割合がこの黄金分割を使っています。この黄金分割比は古代ギリシャ時代から使われている理想的な美しい分割比とされています。

                    Q&Aの最終更新日 : 2009-12-27



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