画家の眼 ①
21世紀を迎えてほぼ10年が過ぎようとしている現在、巷には様々な情報が氾濫し、無意識のうちにその渦に巻き込まれている自分にハッとすることがある。情報化時代の今、その情報をいかにコントロールして生きていくかが求められる時代 ( 俗に言うメディアリテラシー ) でもある。絵画においてもさまざまなジャンルの作品に溢れ、画家をめざしている若者にとって指針をどこに持っていったらよいか迷う難しい時代に入っている。とは言いながらいつの時代においても大なり小なりこのような問題は存在するものである。芸術活動は前の時代にそのまま戻ることはあり得ないので、時の流れをよく理解をして先へ々と取り組む必要がある。時代の最先端で活動しているのが現代美術(Contemporary art)である。一般的には理解薄のところがあるが、世界規模で考えてみるといろんな都市で・・・ビエンナーレとか・・・トリエンナーレといった大規模の現代美術展が開かれている。町や都市おこしの一環として開催されている美術展のことである。これらの活動は今の世相を反映したグローバルなものが多く美術家をめざす者にとっては大変参考になるものである。オーソドックスな日本画をやっている私にとっても関心の高いイベントでもある。自分の作画に対するヒントをこの現代美術から得ることが多い。これと同じように参考にしたり、注目をしているものにメディアアーチストの作品やアウトサイダーアーチストの作品がある。自分には表現できない力強いものをもっているからである。 話は変わるが、最近気掛かりな事柄に触れてみようと思う。私は現在日本画の公募団体の代表を務めているが、ここ数年若い作家の出品がめだって少ない現象が生じている。公募展無用論が叫ばれるようになった時世の影響かなと思ったりしているが、よくは分からない。美術系の大学は繁盛しているのにもかかわらず、何処に彼らが流れていくのか不思議でたまらない。 私の知る限りでは他の団体でも同じような現象が見られるようである。洋画、日本画を問わず公募展出品者が減少している。団体展に所属せずに【手っ取り早く結果を求める】個展主義に走る傾向があるのかも知れない。
2009.09.21
国や県サイドの文化芸術に対する施政に変化が伺える。一般社会の行き過ぎた競争・市場原理を文化芸術においても求めようとする観が強く感じられるからだ。政府が先行きの分からない芸術文化に大きな予算を計上したくない気持ちは分からなくもないが、目先だけの狭い考えで文化芸術を捉えるとしたら日本の将来にとって大きなマイナスになると思われる。
戦後、国による展覧会(官展)は廃止されたが、まだまだ今までの既得権が存在しており、不公平な現状が続いている。芸術院賞や芸術院会員の問題など一部の作家を国が擁護し、終生褒賞金を与えるシステムはどう見てもおかしい。・・・新政権はこの分野においても、もっとメスを入れてもよいのではないだろうか。
2009.10.18
公募団体展の運営に携わっていて一番頭を悩ますのが運営資金の問題である。公募展を開催するということは、会の大小関わらず必要経費はほとんど同じくらいかかるものである。特に小さな団体ではこの問題が維持管理の上で大きなネックになる。公共の文化事業に対する補助金を頼みにしているのが現状である。2009年公共事業の財政が大幅に落ち込んでいる現在、それを期待する方が無理なのかも知れないが、本年度公共事業が提案した補助金申請の審査基準で気になることがある。基準は【 ①先駆性、実験性 ②国際性、発信性 ③将来性 ④貢献度】 と示されているが、これらの内容は明らかに現代美術を意識した内容のものであり、従来からある我々のようなオーソドックスな活動は度外視されている観が免れない。2009年の緊迫した財政の中、文化芸術の補助においても競争原理を持ち込む気持ちは分からなくもないが審査基準があまりにも偏っているのは不公平な対応である。
現代美術は公共が支援するというのがグローバルになってきてはいるが、既存の活動も支援していくというバランスが施政にはほしい。日本の伝統美術を軽んじた対策は日本文化のアイデンティティーを失うことになる。
2009.10.25
2009年 第15回 秋の創日展を 11/01(日) に終了することができた。中日新聞に掲載されたこともあり、予想を上回る来観者があった。これはこれでよい成果として捉えていいものであるが、展覧会を運営する側としては少し気掛かりな反省点が残る。出品作品の質の問題である。小綺麗にはできているが、作者の心情が希薄な作品が多く、習作的なものが多かったことである。公募展としての主義主張が余り期待できなかったことが反省として残る。うまい絵とか売れるような絵が良い絵と勘違いしている向きもあるので出品者の意識改革をしていかないといけない。この反省点を来年度の本展に向けて生かしていきたい。
2009.11.02
絵の見方、とらえ方は様々な観点があるので一言では言い尽くせないものである 。こちらを強調すれば、あちらが立たずで、結局は抽象論になってしまう。現代美術家の元永定正氏が言っているように 【 絵は上手・下手ではなく、良い・悪いで評価するべき 】 なのかも知れない。しかしながら、作家と鑑賞者の認識のズレは歴然たるものがあるので難しいところだ。
2009.11.11
【 アートを身近に・・・不況で冷え込む美術界の起爆剤になるか 】・・・の中日新聞の記事に目が止まった。美術鑑賞を身近にする試みとしていろいろな分野からの支援活動の紹介が記されていた。今まで見られなかった新しい傾向である。日本人も生活に余裕ができてきた証拠かなとうれしく思う。
反面、一片の危惧も感じとれる。アートが身近になりすぎると今度は商業美術化することが懸念されるからだ。作家が精根こめて作り上げたひとつ一つの作品が次から次へと消費されてしまうことだ。新しいものをどんどん作っていかないと追いつかなくなる。芸術活動が商業化することの怖さである。
2009.11.17
最近の紙面は現代美術オンパレードの様相を呈している。美術館や画廊のような狭い空間ではなく、大きな公園や町を取り込んで大規模に活動を展開し、【 何十万人の市民が参加をしてアートを楽しんだ 】 というような記事をよく目にする。 art というよりも entertainment の意味合いのものが多いのが気になるところである。 art を身近にといううたい文句はよいのだが、あまりにも art からかけ離れたものが多いからだ。かっての1960年代アメリカで流行したハプニングの域を脱しきれていないきらいがある。
2009.11.22
芸術作品で分かりやすいというのは重厚さを欠く意味があって考えものである。多少分かりにくい、しかも意味不明な方が深みが増すものである。職人わざの絵はうまく描かれているが、絵としてはよい絵とは言わない。アーチストとアルチザンの違いである。
2009.11.29
【よい作品とはどんな作品をさすのであろうか】 と言った問いがあるとすると・・・、きっと多くの作家は自分にはない不思議な魅力を持った作品だと言うに違いない。作家は自分にはないものを新鮮な驚きでもって自分の作品と見比べるであろうから・・・ピカソはアフリカの彫刻に感動して『アビニヨンの娘たち』 を制作している。亜欧堂田善は蘭学の書物の絵に感動して独自の絵を描いている。これらは共に新鮮な驚きが作画の発端になっている。
2009.12.15
日本においてインターネットを毎日利用してい人々の数が以外に少ない現状がある。利用する年齢層もかなり偏りがあり、日本人の多くはテレビ・ラジオと新聞・雑誌等による情報しか見聞きしていない。即時性の高い情報を得ていないためにそれらのニュース記事を鵜呑みにしている場合が多い。良い悪いは別としてこれからの社会は確実にインターネット人口が増えていくと思われるから、今以上に多様性のある社会になるのではなかろうかと思われる。情報を統制することができなくなることが予想される。ひとり一人が自己責任でその情報をキャッチして社会参加をしていかなければならない。
2009.12.21
紙を使わない電子書籍なるものが流行の兆しを見せている。少し前には電子手帳や電子辞書などが流行しているが、その発展として出てきたものと思われる。新聞業界をはじめ各出版業界などは死活問題にも発展しそうな出来事である。その傾向はすでに現れている。新聞や書物等が電子書籍になれば省エネにも関係してくることでもあり、よい面も備えているが予期しない不安材料も多く残る。絵の分野においても紙や麻布を使わない電子画面(ディスプレー)だけの絵画が出現してくる可能性も大きい。すでにその方法で制作している作家もいる。これが一般化してくると生き残れない分野も出てくる。まさに一寸先は闇のような様相である。
2009.12.27
一芸に秀でた人は一芸に終わらず他の分野にも秀でた人が多い。岡本太郎氏のピアノも然り、池田満寿夫氏の小説や映画なども然り、南方熊楠氏の語学の才能も然り、・・・頭脳の働きが連鎖反応的に開花するのだろう。ここまで行かないとほんものと言わないのかも知れない。
2010.01.01
芸術活動も商業主義の波にのみ込まれると芸術的価値が半減するような気がする。すばらしい作品も金銭感覚で評価されている現在、何か純粋性を失っているきらいがある。芸術活動は職業化をしてはいけないのではないだろうか。
2010.01.09
大自然の一部を布で覆い被してしまう 『梱包作家 』 として知られるアメリカのクリスト(妻のジャンヌ=クロードとの協同で)は制作の為の巨額の資金を外部から一切支援を受けずに行っていたようだ。もし本当だとしたらすごいの一語だ。芸術に賭ける気力と情熱は学ぶべきものがある。
2010.01.16
政治と芸術は一見すると関係なさそうで、どっこい密接な関係がある。我が国においては第二次大戦中、戦争絵画なるものが国民の意識高揚に利用されてきた事実がある。ピカソのゲルニカも然りである。制作のテーマは時代の政治色をよく反映するものである。
2010.02.01
暗澹たる時代には暗い絵が多いと思いきや、かえって明るい絵が多いものである。作家は紋切り型のとらえ方をしない逆説的な発想で展望を開くからであろう。
2010.02.09
絵空事という言葉があるが、今の政治はまさにこの言葉にぴったしの状況だ。芸術活動は現実と理想のギャップが大きいほど効果があるが、政治の世界は考えものだ。
2010.02.22
最近の日本は何かに付けもて自信を失っている状況だ。ハングリー精神が欠如している所以かも知れない。しっかり努力をすれば報われる社会になることと夢がもてる社会になることが先決だ。
2010.03.11
完成度が高いということはよいことではあるが、いつも同じ完成度を求めているとアルチザンの技になってしまう。新しいものを創っては壊し、壊しては創るような更なる発展を創造することが芸術活動では大切ではないかと思う。常に新しい表現を追求したピカソや5年周期で大転換をした加山又造の取り組みに共感を持つ。
2010.03.25
今の日本では英国の哲学者ベンサムの唱えた《 最大多数の最大幸福 》の概念が通らなくなってきた感じがある。多数派(マジョリティー)と少数派(マイノリティー)の力関係がほぼ対等になり、多数決による採択が難しくなってきた。今の政治を見るとそのことが如実に現れている。お互いに折れ合うことをしないと共に不幸になる。
2010.03.28
日本の現状が全ての分野においてこれだけ落ち込んでくると、流石に我々の芸術活動にも大きな影響が見られる。余裕のない状態では絵どころではないといった社会状況が公募団体展を運営しているとよく分かる。先日の審査会の結果から思うことであるが、出品を控えたりする者や制作に十分な取り組めができないために作品の質が低下している者など顕著な変化が見られる。
2010.04.07
ブログやホームページが簡単に出来てしまうこともあり素人の美術愛好家が公募団体展に専門家紛いの取材をし、その記事を写真入りで公表してしまう違法行為が目立つ。主催者に無許可で写真を載せ、美術評を書くことは著作権侵害にあたる行為である。それに気づきもしないで、しかも、親切行為と解釈している一部のマニアに注意を促したい。(取材の自由は認めるが展示作品については所属団体に帰属するものであり、また出品者の了解なしには公表することはできない。著作権侵害にあたるものである。)
2010.04.25
早世の詩人画家 [槐多の素描90年ぶり公開]・・・・のタイトルで中日新聞の一面にトップ記事として掲載されているのを読んで・・・・・
三河地方(岡崎)にゆかりのある画家として前々から興味関心をもっていた画家ではあるが、個人的には評価はまわりが騒ぐほどのものを期待していない。90年ぶりの素描は確かに19才にしてはよくできてはいるが、おどろくほどのできばえとは思えない。このくらいのものを描ける作家はその当時においてももっと沢山いたはずである。それなのにこれだけ騒がれる画家になったのは彼のもっている他の才能に関係があったように思えてならない。特に彼の生存中に取り巻いていた環境が従兄弟の山本鼎をはじめ、詩人で彫刻家である高村光太郎ありきでその当時の著名な芸術家の交流による関わりがこれほどの寵児に祭り上げた結果ではないだろうか。作品数が少ないだけに美術関係者や美術投資家の絶好の対象となっている。夭折の画家村山槐多が長生きをしていたら果たしてどんな評価を受けただろうか興味津々たるものがある。
2010.05.09
5月15日の中日新聞の夕刊に愛知県にゆかりのある現代美術家の桑山忠明氏の帰国回顧展の記事が載っているのを見て、同じく同県にゆかりのある荒川修作氏の近況に思いを寄せていた。その数日後にはその荒川修作氏の訃報をインターネットで知ることになるとは・・・。彼らを生んだ愛知県では今年、愛知トリエンナーレの開催年でもあり、偶然の一致としか思えないような衝撃を受けた。愛知県出身の現代美術家が世界に向けて発信をし、それが世界規模で通用することを実証した両氏である。荒川修作氏には心より哀悼の意を表したい。また桑山忠明氏には今後の躍進をお祈りしたい。同県民として、また同じ芸術活動に携わる者として。
2010.05.20
またもや訃報の記事に接することになった。 5月27日の中日新聞朝刊に記載された美術評論家針生一郎氏の死亡記事に目が留まった。私が大学で美術を学んでいた頃、美術専門誌や美術雑誌等でいつも名前の出てくる評論家で否応なしに彼の美術評論は目に入った。反権威的な思想は若き頃の美術家をめざした我々には大きな共感を持ったものである。私は一時期前衛美術の思想に大変興味をもった時期があり、兵庫県で吉原治良氏を中心に結成した具体美術には注目していた。この活動の評論も確か、針生一郎氏が書いていたように記憶している。アメリカの抽象表現主義の影響を強く感じとるこの具体美術の活動は私にとってもよい勉強の場にもなった。アクション・ペインティング、ハプニング、ランド・アートなどといった先端的な活動は、私が美術教師をしていた教育現場でも実際に生徒達と共に行っていた。校舎建て替えの教室を使ってアクション・ペインティングやハプニングの学習を体験させていた。また砂の芸術として河川の河原を使ってランド・アートを体験させていた。その当時の教育現場ではこのような活動の理解は全くなく異端視された苦い思い出がある。しかしながら、その実践した活動の中で今現在でもこの活動を受け継いで続けている貴重な学校がある。その学校は私が命名した●●●●校アースワーク展としてその後、40年以上も途絶えることなく学校行事として続けている。愛知県岡崎市内にある学校のことである。これらの活動の根本思想は当時の美術専門誌『美術手帳』に書かれていた針生一郎氏らの唱えた前衛美術の論評に影響するものが大であった。その当時は、針生一郎氏の他、東野芳明氏や瀧口修造氏などの論客がいて私達に影響を与えた前衛美術評論家がいたことも特記したい。
2010.05.27